先日、才能溢れる若いスポーツ選手が女性タレントと婚約発表した。
二人とも二十歳そこらで、典型的なできちゃった結婚である。
晴れやかな笑顔を見せ、幸せそうな二人とは裏腹に
私を含めた、周囲の三十代の女達は
「あの女!!むっかつくわーーー!!!」と
二人のことを良く知るわけでもないのに、ひとしきり文句を言った。
私達は、そのスポーツ選手の熱狂的ファンというわけではない。
これは、単なる嫉妬だ。

自分の嫌いなタイプの女、
自分が持っていないものを持った女、
そういった類の女が、自分よりも幸せになることが許せないだけ。
彼の隣にいるべきは自分だったのに!とでも言わんばかりの
エゴ丸出しの感情である。

取り返せない若さ、美貌や才能、環境や運など
持たざるものは、それを持つものに対して嫉妬する。
独占欲、妬み、劣等感などからくる反感。
黒くてどろどろした後ろ向きで禍々しい感情。
制御が効かなく、ときには残酷な結果を生むこともある。

そんな嫉妬をするなんて恥ずかしい。
自分が嫉妬している事実から目を背けたい。
認めたくはないけれど、心の底では
本当は自分もあの女性タレントのようになりたいのだろうか。
しなやかな肉体と端正な顔立ちを持つスポーツ選手と結婚して
若くてぷりぷりした肌を喜びでほころばしたいのだろうか。

……うん、結婚したい。

自分の感情を素直に認め、その反感を向上心と結びつけた場合は
もはや嫉妬と呼ばれないことが多い。
手に入らないとあきらめている時は嫉妬になるが、
手に入れようと前向きになると、嫉妬は羨望になり
嫉妬の対象は、目標へと変化する。

仮に、自分が好きな女性タレントや
自分よりも優れていると認めざるを得ない女性タレントが
件のスポーツ選手と結婚したらどうだったろう。
「悔しいけれど、お似合い」
そういって、彼らを祝福したのではないか。

先の女性タレントだって、ブーブー文句を言われているが
本人達が幸せなら何も問題はない。
むしろ、嫉妬されるということは羨ましがられているのだ。
そう、ハッキリ言って羨ましい!!
私もダルビッシュcheecoになりたい!!
変な名前だけど!!

「好き」も「嫌い」も「嫉妬」も
すべて「女」という字が含まれる。
女の敵は女かもしれないが、女の目指すところも、やはり女。
スポーツ選手の妻の座を手に入れるのは無理かもしれないけど
嫉妬されるほどいい女になる努力なら、今からでも間に合う。