雨あがりの午後、私たちは初めてデートした。
町外れにある森に囲まれた静かな湖畔を、二人でゆっくり歩いた。
「君の手は、赤ちゃんのお尻みたいだ。」
突然彼が言った。
目をパチクリとさせていると、
「こんなふうにすべらかで、柔らかい手のことをね、英語ではそういうんだよ」
照れくさくてうつむいて歩く私の手を、彼の指が優しく撫でる。
飛び立った水鳥の残した波紋が、湖面に広がっていた。
はしばみ色の瞳を持つ、ドイツ人とイギリス人の血が流れる彼。
突然、真紅の薔薇の花をプレゼントしてくれたり、ピアノリサイタルで、ジャニス・ジョップリンの”The Rose”を 私のために 弾いてくれるような男の子だった。
きれいな形の爪をしていた。
「そこに座って」
フレアースカートの裾をたくし上げて、言われたとおり、臙脂色の浴槽のふちに腰掛ける。
湖の水で冷え切った泥だらけの足先を、温かいシャワーのお湯が絹のように流れ落ちる。
足元に屈んだ栗色の髪が水蒸気でぼんやりとかすみ、彼のお母さんが愛用しているという濃密な花の石鹸の香りが、浴室に充満する。
足首を、足の甲を、そして足の指一本一本を 彼の手が、指が滑っていく……。
恋がやってきた。
「その後ね、また家まで送ってくれたのよ。でね、車を降りて、“Good night”を言ったら、彼、キスしてきたの。突然よ。満天の星で、通りには私たちしかいなくて、風が草の匂いを運んできて、虫の声が綺麗で……。ああ、もうだめだー。死んじゃうー」
翌日、もだえながら報告していた私の横で、親友のコニーは唇の端を上げて、言った。
「そんなの、Puppy love よ。Real loveじゃないわ」
コニーはラオスからの難民だった。ふわふわした長い黒髪を持つ彼女は、数週間後の卒業式の直後に、花嫁になる。ラオス人のフィアンセとは母国の難民キャンプで知り合った。
狭いコニーの部屋のベッドの枕元には、いつも、フィアンセのためのタバコの箱とコンドームが置いてあった。そして彼の事を話すとき、コニーの目はいつも大人びていて、なんだか悲しげだった。
私はその後 帰国して、また恋をして、日本人と結婚して、子どもを産んだ。そして、気がついた。
故郷を追われ、国を捨てなければならなかったコニーが言いたかった「愛」の意味深さや悲しさには、到底、及ばないかもしれない。けれど確かに、愛なんてそんなもんじゃない。
毎朝眠たい目を必死にこじあけてお弁当を作り、這いつくばって、テーブルの下の子どもの食べこぼしを拭く。そして、言うことをきかない息子たちを叱り付つけては、そんな自分に自己嫌悪のあまり、涙がにじみ出る。こんな毎日のくりかえし。
けれどオムツでずっしり重くなった大きなゴミ袋を、2つもぶらさげて出勤していってくれる夫の後姿とか、本棚の角にぶつけた私の足を「痛いの痛いの飛んでいけー」と何度も言いながらさすってくれる、息子の小さな手とか、覚えたてのハイハイで、泣きながら、転びながら、必死で私の方に向かって進もうとする赤ん坊の透き通った涙とか……
そんな中に間違いなく「愛」は存在する。
夫はピアノが弾けないし、デート中に突然薔薇の花をプレゼントされることなど、私の人生でもう二度とないだろう。
けれど、今の自分には、長い道を一緒に生きてくれる人がいる。あの時の彼が「雑草だよ」と言い捨てた タンポポの花 を懸命に摘んで、誇らしげに持ってきてくれる、お日様みたいな笑顔の息子がいる。
特別でもない。ロマンチックでもない。かっこよくもない。
でも、かけがえのない日常のあちこちに、確かに愛はキラキラしている。
町外れにある森に囲まれた静かな湖畔を、二人でゆっくり歩いた。
「君の手は、赤ちゃんのお尻みたいだ。」
突然彼が言った。
目をパチクリとさせていると、
「こんなふうにすべらかで、柔らかい手のことをね、英語ではそういうんだよ」
照れくさくてうつむいて歩く私の手を、彼の指が優しく撫でる。
飛び立った水鳥の残した波紋が、湖面に広がっていた。
はしばみ色の瞳を持つ、ドイツ人とイギリス人の血が流れる彼。
突然、真紅の薔薇の花をプレゼントしてくれたり、ピアノリサイタルで、ジャニス・ジョップリンの”The Rose”を 私のために 弾いてくれるような男の子だった。
きれいな形の爪をしていた。
「そこに座って」
フレアースカートの裾をたくし上げて、言われたとおり、臙脂色の浴槽のふちに腰掛ける。
湖の水で冷え切った泥だらけの足先を、温かいシャワーのお湯が絹のように流れ落ちる。
足元に屈んだ栗色の髪が水蒸気でぼんやりとかすみ、彼のお母さんが愛用しているという濃密な花の石鹸の香りが、浴室に充満する。
足首を、足の甲を、そして足の指一本一本を 彼の手が、指が滑っていく……。
恋がやってきた。
「その後ね、また家まで送ってくれたのよ。でね、車を降りて、“Good night”を言ったら、彼、キスしてきたの。突然よ。満天の星で、通りには私たちしかいなくて、風が草の匂いを運んできて、虫の声が綺麗で……。ああ、もうだめだー。死んじゃうー」
翌日、もだえながら報告していた私の横で、親友のコニーは唇の端を上げて、言った。
「そんなの、Puppy love よ。Real loveじゃないわ」
コニーはラオスからの難民だった。ふわふわした長い黒髪を持つ彼女は、数週間後の卒業式の直後に、花嫁になる。ラオス人のフィアンセとは母国の難民キャンプで知り合った。
狭いコニーの部屋のベッドの枕元には、いつも、フィアンセのためのタバコの箱とコンドームが置いてあった。そして彼の事を話すとき、コニーの目はいつも大人びていて、なんだか悲しげだった。
私はその後 帰国して、また恋をして、日本人と結婚して、子どもを産んだ。そして、気がついた。
故郷を追われ、国を捨てなければならなかったコニーが言いたかった「愛」の意味深さや悲しさには、到底、及ばないかもしれない。けれど確かに、愛なんてそんなもんじゃない。
毎朝眠たい目を必死にこじあけてお弁当を作り、這いつくばって、テーブルの下の子どもの食べこぼしを拭く。そして、言うことをきかない息子たちを叱り付つけては、そんな自分に自己嫌悪のあまり、涙がにじみ出る。こんな毎日のくりかえし。
けれどオムツでずっしり重くなった大きなゴミ袋を、2つもぶらさげて出勤していってくれる夫の後姿とか、本棚の角にぶつけた私の足を「痛いの痛いの飛んでいけー」と何度も言いながらさすってくれる、息子の小さな手とか、覚えたてのハイハイで、泣きながら、転びながら、必死で私の方に向かって進もうとする赤ん坊の透き通った涙とか……
そんな中に間違いなく「愛」は存在する。
夫はピアノが弾けないし、デート中に突然薔薇の花をプレゼントされることなど、私の人生でもう二度とないだろう。
けれど、今の自分には、長い道を一緒に生きてくれる人がいる。あの時の彼が「雑草だよ」と言い捨てた タンポポの花 を懸命に摘んで、誇らしげに持ってきてくれる、お日様みたいな笑顔の息子がいる。
特別でもない。ロマンチックでもない。かっこよくもない。
でも、かけがえのない日常のあちこちに、確かに愛はキラキラしている。