空がすっきり青いから。

3月14日pm 2時。

 

土佐で活躍するWashi +の「いとなむ」と言う舞台をシアタートラムで観劇した。

 

『これは1,000年を超えて続く、土佐和紙の"いとなみ“』と副題に見る様に、ミツマタコウゾに恵まれた土佐の自然と土佐和紙の伝統文化を守り続けた人々の労苦を、時間を超越して描いた作品である。

 

私の遠縁に当る浜田あゆみさん(鹿敷製紙株式会社)が、制作を担当した作品である。

彼女がスタッフ、キャスト共に稀なる英才を集結させたその眼力と行動力に、先ずは脱帽である。

4年前に地元高知で上演され、新たに練り直しての東京進出を果たした作品だと聴いた。

 

この作品はストレートプレイではなく、舞踏・音楽・台詞が一体となって進行する、先進的な舞台空間を生み、後は観客の自由な感性に委ねるものである。

 

だから語るべきストーリーは有って無い。

 

簡素化された舞台の正面奥に、高知から運ばれた土佐和紙の回転式乾燥機が置かれて、休むことなく人間がぐるぐる回し続けている。

それは、まるで絶え間なく続く歴史の回転のようだ。

 

舞台裏には、卓上木琴・鐘・洗面器が用意されて、中央奥にはドライヤー、そして上手奥にはドラムが存在を示し,琵琶とハンドパン、下手奥には、鉄の輪や木槌、ビー玉までもが音を出し音楽に参加する。

これら全ては効果音となり人間感情の多面性を奏でていく。

その場で演じる俳優達の、それぞれの孤独なモノローグは、人が老いる悲しさや、それに立ち向かって生きてきた人間の朽る事のない逞しさを、巧みに表現して哀しい。

俳優陣は音に励まされ昇華し、音は俳優に溶け込んでいく。

 

それにしても、鈴木竜氏の抽象化による演出と、彼自身による舞踏表現に、自ずと深淵が広がっていく。

魂の波動が舞踏になり、精神の鼓動が音楽となり、静寂を破り、時を刻み、新たな時代を創る見事さ。

 

そこには戦争や数多の苦難を乗り越えて、土佐和紙の伝統文化を守り続けた人々の姿と相まって、人間の普遍的な尊厳を謳いあげた、見事な舞台であった。

 

ここで、文字で表現しようとしても、所詮何も伝わらず結局徒労に帰してしまったようだ。

結局は、舞台芸術は説明するものではなく、観るものだと言うことである。

 

あー、ブログを書き終えた今、日本がベネズエラに負けてしまった。

しばし沈黙。

 

ブログ仲間の皆さまお元気でお過ごしください。

そして、病と必死に闘っていられるあなたの為に、祈ります。

 

 

舞台写真を

 

 

 

 

 

カーテンコール

 

終演後の舞台

 

シアタートラムの前で

 

あゆみちゃんにお花を贈りました。

 

ロビーにて

 

演出・振付でありダンサーの鈴木竜さんと