1963年。

福田恒存氏、芥川比呂志氏を擁立し文学座から分裂して、現代演劇協会「劇団雲」が設立されました。

 

その創立メンバーに研究生として入団して以来、62年間もの長きに渡り在籍しました。

移ろい行く人の心は、福田恒存氏と芥川率いる俳優陣との間に亀裂が生じ、「劇団昴」と、演劇集団「円」とに分裂する事になりました。

果たしてその真相は何なのか、真の確執は奈辺にあるのか、その答えは弱輩者のわたし如きには、知る由もなく、ましてや理解することなど、出来るはずもありませんでした。

人の怨念はいつの世も、降る雨が土に深く染み込み,枯れぬ水流を新たに作る様です。

 

1976年。

私は、シェークスピアの優れた翻訳者であると同時に文明評論家として一世を風靡した、まさに演劇会の「鶏群の一鶴」とも言うべき存在であった福田恒存の率いる「劇団昴」に残留する事になります。

 

やがて、劇団の「核」と言うべき福田恒存氏の逝去や、俳優の重鎮小池朝雄氏の急逝(享年54)と言う厳しい現実に直面し、劇団昴はまさに、鶏群の集まりと化して行きました。

 

中核を失い、真のリーダーシップ(俳優が任を負うべきではない)や劇団の「核」となるべき演出部、文芸部、の不在と言う劇団の現状が、全てに惰性と言う根を伸ばして来ます。

 

これらを、当然と見過ごしてきた失政は劇団の運営陣にその責はありますが、創立メンバーの一人である私にもその責任の一端はあった筈です。

ここで私は、己の非を認め、その責めを負うべきと考え、「退団」を決意した次第です。


 

我も行く心の命じるままに

我も行くさらば昴よ

(谷村新司「昴」より)

 

有限会社アトリエ北村

 

     北村総一朗。