あの時の思いは忘れられない
トンネルの中をトボトボと歩いていたら
一瞬にして、光が射してきて
明るい風景が目の前に広がった
そんな感じだった
ヨカッタ、ヨカッタと毎日のように噛みしめていた
園の制服を着た、ムスメのぷくぷくの笑顔が眩しかった
ムスメ、年少の頃![]()
4月、入園後から程なくのこと
早速、クラス担任による家庭訪問を受けた
指定された日時に、クラス担任であるシスターがお見えになった
我が家のダイニングテーブルを挟んで、修道服のシスターと
向き合って座る風景は、不思議な既視感があった
なにしろ入園までのいきさつがあったし
ただただ感謝の言葉が口をついて出た
私は、あの銅版画を指さし、
『イエス様が導いて下さったのでしょうか』と言った
(この頃には、さすがの私もイエス様が描かれているということは気が付いていた)
シスターは、初めてあの絵に気付かれて
そして私の目を真っ直ぐに見て、こう仰った
『これは今日という日の絵です』
シスターが家庭訪問にいらした日
4月18日は、その年の『聖木曜日』
その週末は復活祭だった
つまりこの絵はご自身の運命を悟り
ゲッセマネの園で神に祈りを捧げておられるイエス様のお姿
それがあの銅版画のモチーフ
あの有名な最後の晩餐を経て
ゲッセマネの園で
その数時間後にやってくる
自らの避けがたい運命を知っていたイエス様
山本容子作 『祈りをこめて』
『お母さん、イエス様に掴まれましたね』
とシスターは付け加えられた
振り返ってみれば、このシスターの言葉は深かった
私はこの幼稚園で、自分の未熟さに気が付き
人間という存在の、その複雑さに
押しつぶされそうになりながら
それでも、その現実をしっかりと見て経験せよ
と促されて、あの場所にご縁をいただいたのだ
早い話が、この幼稚園のほとんどの方々は
いわゆる『お受験』を目指しておられ
イメージのままに、裕福にして、華やかな人々の集まり
そして年少の時から、早くも競争が始まっているかのような世界
私達母娘にとっては全くの場違いなところ
私は全く空気に馴染めないまま
地雷を踏みまくり
子どもを挟んでの人間関係の複雑さに
心のバランスを崩し
持病が悪化していった
夏を迎える頃には、園庭に逆巻くエネルギーにすっかり飲み込まれていった
この年の夏の暑さは、また特別に身体に堪えた
その一方で私は、園にゆかりのある教会で
日曜ごとのミサに参列しては祈り続けた
そう、あのゲッセマネの園でのイエス様のように
もちろん、イエス様の絶望とは比較にもならないのだけれど
少しずつ吹く風に涼しさが感じられるようになったある日曜
教会で祈りを捧げていた時のこと
祈りを捧げている私の脳に、不意にイエス様からメッセージが打電されてきた
おでこの辺りに、まさに打電を受けたという感じ
『小さな事、一つ一つを気にせず
大きく全体を見通しなさい
起こる事全てに、意味があるのだから』
日本語での打電・・・
『イエス様、日本語お出来になるんだ』
私は、そんな間の抜けたことを思っていた
ゲッセマネの園で、ユダの接吻を合図に
警備隊に捉えられ、それを見た弟子達に
裏切られ、裁判にかけられたイエス様
そしてあの磔の刑・・・
愛を説きながら、愛した人々に裏切られ
誤解と嘲りの中、死を迎えたイエス様
そうしたこともまたイエス様にとっては必然だったのだろう
このちっぽけな私にとっても、この受難の日々は多いに意味を持っていた
様々な人々との関わりの中で見せられた
そのけたたましいまでのエゴと
愛を求めても得られない渇望と
自己弁護、自己正当化の論理
そして他でもない私自身の至らなさ、未熟さ
結局、私はこの幼稚園をムスメが年中になったところで転園を決めた
転園先の幼稚園は、いっそ牧歌的とも言える程
のんびりとそれぞれのペースという雰囲気だった
何かしらのつむじ風は吹いたりもしていたけれど
あの年少の時のようなエネルギーとは違っていた
そして改めて思った
あの年少の時のママ達とて
夫と、姑と、あるいは実家の親と
様々な確執やら、葛藤やらを抱え
苛立ち、傷つきながら
日々、お受験という目標に向かって頑張っていたのだろう
それが子供のため、と頑張っていたのだろう
一見、華やかに美しく見えてはいても
その裏では、必死な努力を重ねていたのだろう
そのベクトルの向きの違いはあれ
離れてみれば、それぞれの親としての必死さは理解できた
もう一度あの一年を経験したいとは思わないけれど
あのヒリヒリと焼けつくような日々が
私に多くの豊かさを与えてくれたのは事実
人は人と深く関わり、初めて自分という存在の有り様を知リうるのだろう
幸か不幸か、舅姑小姑の苦労のなかった私は
子を持って初めてこうした複雑な人間関係を知り得た
そしてだからこそ出会えたイエス様![]()
私は、今もってキリスト教徒ではないけれど
こうしてレムリアンヒーリングを通してご縁をいただく
様々な高次元の存在、マスターの一人として日々導いていただいている
サロンに飾っている『最後の晩餐』


