カラーセラピー
私にピッタリの仕事だと思うの。
どうしてカラーセラピーの道に進んだのか、ここに至るまで何があったのか、どんな思いでこの仕事を始めたのか。
ちょっと長くなりますが、書きたいと思います。
幼い頃から、とにかく何でもやってみたがる子だった。
母が「やってみる?」と話を振った習い事は、ほぼ全部「やる♪」と言っていたらしい。
幼稚園の時は叔母にピアノを習いながら、ヤマハのピアノ教室、水泳、幼稚園内の課外授業の体操、絵画教室。
これ一気に全部毎週やっていた訳ではないと思うけど、とりあえず幼稚園の放課後に普通に遊んだ記憶はない。
家でも、通信の知育教材をやっていた。
俳句カルタとかね。
遊びとして成立してるものなので、普通に楽しんでいて、特に苦痛は無かった。
小学校に入ってからも、そろばん、公文など、とにかく毎日習い事。
高学年になると、自分からやりたいと言った事も忘れて面倒だ~と思いつつ惰性で続けた挙句サボってバレてこっ酷く叱られたり(笑)
辞めるという選択肢は全く思い付かなかった。
私がやりたがりだったのもあったけど、父は教育にはいくらお金をかけても良いと言っていたし、教育熱心な家庭だったのかも。
学歴社会だったのもあるだろうし、父方の祖母は、あの時代では珍しく女子だけど大学を出ていて、父も名の知れた大きな大学の大学院まで出ている。
祖母は、よく「◯◯さんのお孫さんは△△大学に入った」と話をしていた。
幼心に、よく分からないけど凄い事なんだろうなぁと聞いていた。
よく分からないので、プレッシャーも何もなく(笑)
それがね、後にジワジワ来るんですよ。
今思えば、その時の母は結構なプレッシャーだったと思います。
父の出身大学を聞いてから、持ち前の好奇心で他の親戚の最終学歴を聞いたら、祖父も有名大学の出身、他の親戚も有名大学出身者がズラリ。
母と叔母1人は音大。
有名大学出身の親戚のラインナップや、音楽教育の厳しさをやっぱり好奇心で何度も母に尋ねて、話を聞いていた。
私にピッタリの仕事だと思うの。
どうしてカラーセラピーの道に進んだのか、ここに至るまで何があったのか、どんな思いでこの仕事を始めたのか。
ちょっと長くなりますが、書きたいと思います。
幼い頃から、とにかく何でもやってみたがる子だった。
母が「やってみる?」と話を振った習い事は、ほぼ全部「やる♪」と言っていたらしい。
幼稚園の時は叔母にピアノを習いながら、ヤマハのピアノ教室、水泳、幼稚園内の課外授業の体操、絵画教室。
これ一気に全部毎週やっていた訳ではないと思うけど、とりあえず幼稚園の放課後に普通に遊んだ記憶はない。
家でも、通信の知育教材をやっていた。
俳句カルタとかね。
遊びとして成立してるものなので、普通に楽しんでいて、特に苦痛は無かった。
小学校に入ってからも、そろばん、公文など、とにかく毎日習い事。
高学年になると、自分からやりたいと言った事も忘れて面倒だ~と思いつつ惰性で続けた挙句サボってバレてこっ酷く叱られたり(笑)
辞めるという選択肢は全く思い付かなかった。
私がやりたがりだったのもあったけど、父は教育にはいくらお金をかけても良いと言っていたし、教育熱心な家庭だったのかも。
学歴社会だったのもあるだろうし、父方の祖母は、あの時代では珍しく女子だけど大学を出ていて、父も名の知れた大きな大学の大学院まで出ている。
祖母は、よく「◯◯さんのお孫さんは△△大学に入った」と話をしていた。
幼心に、よく分からないけど凄い事なんだろうなぁと聞いていた。
よく分からないので、プレッシャーも何もなく(笑)
それがね、後にジワジワ来るんですよ。
今思えば、その時の母は結構なプレッシャーだったと思います。
父の出身大学を聞いてから、持ち前の好奇心で他の親戚の最終学歴を聞いたら、祖父も有名大学の出身、他の親戚も有名大学出身者がズラリ。
母と叔母1人は音大。
有名大学出身の親戚のラインナップや、音楽教育の厳しさをやっぱり好奇心で何度も母に尋ねて、話を聞いていた。
高学年になると、親は子に同じ道に進んでもらいたいものらしいと、外部からの情報が入るようになる。
母も、私に音楽の道に進んで欲しいのだろうか?
母に聞いたら、あんな大変な道には進ませたくないって。
そういうものなんだ、聞いた話と違うなぁ。
でも、父や親戚のように、私も有名大学に進学するのは義務だろうなと思うようになる。
強要されたわけではないけれど。
母が歩んで来た道よりは楽だろう、と。
それが普通なんだろう、と。
中学に入り、やっぱり持ち前の好奇心でソフトボール部に入部。体育は得意ではなかったけれど、今まで授業でやった事のない競技、皆1年生は初めてだろうし教えてもらえるだろう、新しい事にチャレンジしてレベルアップ!と思って。
部活と春夏の光GENJIのコンサートと毎月のアイドル雑誌を楽しみに、あとはひたすら勉強・勉強・勉強。
学校で将来なりたい職業を考える授業があり、そこでカウンセラーという職業を知る。
人様の役に立てるとは、なんて素晴らしいお仕事!
職業診断をした時も向いていると出たので、これを目指す事に決める。
高校に無事に入学し、次の進路を選択する中で、職業本を母と見ながら、カラーコーディネーターという仕事がある事を知る。
面白そうだけど、これ仕事なの?趣味じゃなくて?
図工と成績も良くないし、全く仕事のイメージが湧かないし無理だなとスルーしてしまう。
今思えば図工の成績とか関係ないよね(笑)
そもそも、幼稚園で絵画教室に通っていたのに小学校の図工は悪くはないけど、自分では最高の出来!と思って提出した物が全く評価されなかったため、小学生の時点で図工に関してはすっかり諦めてました(笑)
そんなこんなありまして、結局カウンセラーになるために、社会福祉の学科に目標を絞る。
福祉なら人様の役に立てる職業だし、向いてるらしいし。
高校時代の部活は、ダンス部(安定の好奇心!)
高校へは部活をしに、勉強は塾で、みたいな生活でした。
そして、大学生に。
中高で受験をゴールにするなと習ったし、カウンセラーという目標がありながらも、頭で分かっていても、刷り込まれた(勝手に刷り込んでいた)「高学歴」の一言の縛りは大きく、気が付けば受験が最終目標になっていた。
我が家の家系に恥じない結果を出せた事に安堵し、大学デビュー。
(※まだ入学しただけで卒業してない事にまだ気付いてない)
勝手に自分で作り上げた義務から解放され、方向性はすっかり迷子。好奇心の赴くままにサークルを掛け持ちし、バイトをし、学業はすっかり疎かに。
実習にも行って、理想と現実のギャップについていけず、そもそもこんな受験のレールに乗って来ただけの世間知らずの小娘が誰の何を救えるの?助けられるの?
何が正解なのか、もう分からない。
そんなこんな積み重なって、2年で大学を辞めて専門学校へ。
もう福祉でやって行ける自信はない。
一度リセットして、結果を出せる道を考えよう。
そう考えて親も説得して決断したものの、
教育にお金を掛けてもらって来て、勉強が大変だからと家の手伝いもしなくて良いよと言われて来た。
大事に育ててもらって来て、その結果がこれか。
結局、死守しようとした義務は果たせなかった。
その間に、弟や年下の従兄弟達は次々と名の知れた大学へ進学。
ただでさえ、自信なんて全く持てなかったのに、自分で決断した道なのに、やってやる!の気持ちの裏でじわじわ自己肯定感は下がって行く。
ここまで来たら、もうやるしかない。
どうにか成功を収めるしかない。
入った専門学校は、コンサートイベント科。
照明専攻。
さて、何故にいきなりこのコース?
これには伏線があるのです。
続きは次回!
