最近、アメリカの暴動のニュースをよく見かける。
終わりの見えない迷路に入り込んでしまったかのようだ。
ジョージ・フロイドが殺された件で怒りを覚えた人たちが立ち上がったのかもしれないが、正義感はどこかに消え、今ではただの暴漢の集まりに過ぎなくなった。
何かの記事を読んだ時、沖縄の人はシリアルキラー(連続殺人者)と一緒に暮らしているようなものと書いてあった。
評論家・作家の江崎道朗さんが沖縄を訪ねた際、現地の人から、やはり複雑な心情を聞かされたシーンを著書に記している。米軍の犯罪が起こっても公務として扱われると、日本で裁けないというアンフェアなこと以上に、人の心に暗い影を落としているのだと分かった。
アルゼンチンには、大昔はインディオが住んでいたが、殆どスペイン人に殺され、今は白人の国になっている。インディオの末裔は、口には出さなくても、今でも苦々しい思いを抱いていると、ある人が書いていた。
北アメリカのインディアン(ネイティブ・アメリカン)もそうだ。
多くが、侵略してきた白人に殺された。
僕の好きなStevie Salasは父親がインディアンで、↓は父への思いを歌にしたもの。
https://www.dropbox.com/s/w9ue01d5ivc4ixu/IMG_2738.MOV?dl=0
Stevieはアメリカ人として育ちつつも、ふと自分のルーツを考える時、どうやって折り合いをつけているのだろうか。黒でも白でもなく、その中間と言っていたな。
明るく、人懐っこい彼のダークな部分は見たくないが、心中複雑なのだろうな。
日本人だって、女性がポルトガル人に奴隷として売られたことが史実として残っている。スペイン語圏内に「ハポン」という名字の人がいるのは、その子孫ではないかと邪推している。
また、教科書ではちゃんと書いていないけど、戦後シベリア抑留されていた人たちは奴隷労働に従事させられていたし、朝鮮に売られた人もいたと聞く。
白人は、支配する側かと思いきや、アイルランド人が奴隷としてジャマイカやアメリカに売られた過去がある。黒人ほど環境に適応できずに死んでしまったとのこと。白人間でも差別が長く続いたようだ。
全奴隷=黒人というわけではないのだ。
↓のリンク先の英語の動画を見ると、黒人がビジネスで上手くやっていた例があるのが分かる。ただ、その地区一帯を白人が襲撃して虐殺してしまった。
https://twitter.com/nowthisnews/status/1270572145446248449
要は、人間に感情がある以上は差別や支配は無くならないということだ。いつの時代も、形を変えて継続する。
人種的な多様性や平等を叫ぶアメリカが、銃の所持を認めているというのは如何にその実現が困難なのかを物語っている。
法治国家なら、悪行には相応しい処罰の仕方で対処すべきでも、悲しいことに、世界では法の下の平等さえ叶わないこともありえる。
ある黒人が、神に祈っても何も変わらないと嘆いていたのは至極アタリマエで、それだけで変わるなら、世の中ハッピーな人だらけになるはずだ。信じる者は救われると説くキリスト教より、人生は苦と語ったブッダの方が現実世界に沿っていると思うのは僕だけだろうか。
“Black Lives Matter”を理解する人は多くいても、火炎瓶を投げ、街を破壊するのは正義だとは思わない。ISISと、一体どこが違うのだろうか。テロリスト以外からは賛同を得られまい。
彼らの要求の中にある、“Defund the police”もそうだ。結果的に一般市民の安全が担保できなくなれば、単なる無法地帯である。それを狙っているのは誰なのか。きっと、赤い国だろうな。
多くの単純な人は、表面的な主張に騙されてしまうが、それはコミンテルンが利用していたデュープス(利用されていると気づいていないお馬鹿さん)となんら変りが無い。
★追記
↑のリンクは、Stevie Salasセッション動画キャンペーンに応募するための元動画。これに好きなパートをかぶせるというもの。決して怪しい頁に飛んだりしない。
昔は凄く好きな人だったが、最近は年をとったからなのか、小股の切れ上がったようなリズムが聴けなくなってしまった。
オリジナル編成のカラーコードのライブの弾けっぷりが今も忘れられない。
終わりの見えない迷路に入り込んでしまったかのようだ。
ジョージ・フロイドが殺された件で怒りを覚えた人たちが立ち上がったのかもしれないが、正義感はどこかに消え、今ではただの暴漢の集まりに過ぎなくなった。
何かの記事を読んだ時、沖縄の人はシリアルキラー(連続殺人者)と一緒に暮らしているようなものと書いてあった。
評論家・作家の江崎道朗さんが沖縄を訪ねた際、現地の人から、やはり複雑な心情を聞かされたシーンを著書に記している。米軍の犯罪が起こっても公務として扱われると、日本で裁けないというアンフェアなこと以上に、人の心に暗い影を落としているのだと分かった。
アルゼンチンには、大昔はインディオが住んでいたが、殆どスペイン人に殺され、今は白人の国になっている。インディオの末裔は、口には出さなくても、今でも苦々しい思いを抱いていると、ある人が書いていた。
北アメリカのインディアン(ネイティブ・アメリカン)もそうだ。
多くが、侵略してきた白人に殺された。
僕の好きなStevie Salasは父親がインディアンで、↓は父への思いを歌にしたもの。
https://www.dropbox.com/s/w9ue01d5ivc4ixu/IMG_2738.MOV?dl=0
Stevieはアメリカ人として育ちつつも、ふと自分のルーツを考える時、どうやって折り合いをつけているのだろうか。黒でも白でもなく、その中間と言っていたな。
明るく、人懐っこい彼のダークな部分は見たくないが、心中複雑なのだろうな。
日本人だって、女性がポルトガル人に奴隷として売られたことが史実として残っている。スペイン語圏内に「ハポン」という名字の人がいるのは、その子孫ではないかと邪推している。
また、教科書ではちゃんと書いていないけど、戦後シベリア抑留されていた人たちは奴隷労働に従事させられていたし、朝鮮に売られた人もいたと聞く。
白人は、支配する側かと思いきや、アイルランド人が奴隷としてジャマイカやアメリカに売られた過去がある。黒人ほど環境に適応できずに死んでしまったとのこと。白人間でも差別が長く続いたようだ。
全奴隷=黒人というわけではないのだ。
↓のリンク先の英語の動画を見ると、黒人がビジネスで上手くやっていた例があるのが分かる。ただ、その地区一帯を白人が襲撃して虐殺してしまった。
https://twitter.com/nowthisnews/status/1270572145446248449
要は、人間に感情がある以上は差別や支配は無くならないということだ。いつの時代も、形を変えて継続する。
人種的な多様性や平等を叫ぶアメリカが、銃の所持を認めているというのは如何にその実現が困難なのかを物語っている。
法治国家なら、悪行には相応しい処罰の仕方で対処すべきでも、悲しいことに、世界では法の下の平等さえ叶わないこともありえる。
ある黒人が、神に祈っても何も変わらないと嘆いていたのは至極アタリマエで、それだけで変わるなら、世の中ハッピーな人だらけになるはずだ。信じる者は救われると説くキリスト教より、人生は苦と語ったブッダの方が現実世界に沿っていると思うのは僕だけだろうか。
“Black Lives Matter”を理解する人は多くいても、火炎瓶を投げ、街を破壊するのは正義だとは思わない。ISISと、一体どこが違うのだろうか。テロリスト以外からは賛同を得られまい。
彼らの要求の中にある、“Defund the police”もそうだ。結果的に一般市民の安全が担保できなくなれば、単なる無法地帯である。それを狙っているのは誰なのか。きっと、赤い国だろうな。
多くの単純な人は、表面的な主張に騙されてしまうが、それはコミンテルンが利用していたデュープス(利用されていると気づいていないお馬鹿さん)となんら変りが無い。
★追記
↑のリンクは、Stevie Salasセッション動画キャンペーンに応募するための元動画。これに好きなパートをかぶせるというもの。決して怪しい頁に飛んだりしない。
昔は凄く好きな人だったが、最近は年をとったからなのか、小股の切れ上がったようなリズムが聴けなくなってしまった。
オリジナル編成のカラーコードのライブの弾けっぷりが今も忘れられない。