最初に重要なお知らせ![]()
当ブログではREQUで有料記事を提供しておりますが
REQUのサービスが2023年に終了します。
詳細
2022年12月19日(月)で商品の販売が終了になりました。
2023年3月27日(月)に全サービス・記事の閲覧終了です。
大変ありがたいことにご購入済みで繰り返し読みたい方は
お手数ですが、印刷やPDF等のファイルにするなどして
3月27日までに何らかの方法で保存してくださいませ![]()
お手数をおかけしますが、よろしくお願いいたします![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
前回の記事に、
「叶っている」大前提に立ち戻ってからは、(エゴは)
どうせその瞬間には叶っているように見えないのですから、
現実は現実として受け入れていればいいのです。
やるべきことをやり、やりたいことをやり、
やりたくなくてもやらなければならないことならやり、
やりたくないことは(必要なければ)やらない、
そんな感じで今まで通りに生きていればいいのです。
と書きました。
全文はこちらです:
今回は、この引用部分の赤字、
現実は現実として受け入れていればいいのです。
についてもう少し掘り下げて書きます。
今までに何度も書いているように、
現実とは意識の(エゴを介した)反映で、
いわば、自分自身で創り出したものです。
エゴには不都合や不足や問題に見えるものも、
自分自身で創り出しています。
そのエゴにとっての不都合・不足・問題なども、
叶っている自分が創り出したものなので、
それをまるまる受け入れることが重要です。
それが現実は現実として受け入れていればいいの真意です。
「叶っているはずなのにこんなことが起きるはずがない」
などと現実で起きていることを受け入れないでいると、
「不都合・不足・問題が起きる」のを見続けることになります。
たとえば、幸せな結婚を願っているとして、
「結婚して幸せな私」を想定・意図・選択したとします。
あなたのほしいものはすでにある
あなたはすでになりたいものになっている
が大前提なので、
実際にはその時点で叶っているのですが、
エゴが見る現実では出会いの機会すらもないとします。
エゴにとってそれは明らかに不都合・不足・問題です。
そうすると、「叶っているのだからそんなはずはない」
「やっぱり、どう考えてもどう見ても叶っていない」
「私には叶えるのは無理だ、そんな力はないんだ」
などとエゴは考えて「叶っていない」を強化し、
「叶っていない私が叶っていない世界」を見続けます![]()
実際は「出会いの機会がない」とエゴがみなしている
「事象」「状況」があるだけなのですが
(本当はたくさんあるのに見過ごしているのかもしれません)、
エゴにとっては「叶っている」とは正反対に見えるので
不都合・問題・不足などに見えるのは当然だといえます。
しかし実際には「結婚して幸せな私の世界」で起きたことなので、
ただ「そういうことが起きた」と受け入れればいいのです。
そうすれば「叶っている私」のまま
「叶っている世界」を見続けられます。
この「受け入れる」という行為・動作は
その事象・状況をただ「起きたこと」として捉える
その事象・状況によって「叶っていない」と認定しない
という意味であり、別の言い方をすれば
(エゴにとっての)不都合・不足・問題を、
不都合・不足・問題と判断しない
ということでもあります。ですので、
その事象・出来事に対して、「何も感じない」
「動揺しない」「平気でいる」「無かったことにする」
などという意味では断じてありません![]()
ですから、エゴのままに感じていればいいのですよ。
「なかなか出会いがないな〜、焦るな〜
」で終了です。
そこで「叶っていない」とジャッジしない。
それが「叶っている世界を見続ける」ことです。
「出会いがない
全然叶ってないじゃん、もう無理
」
では「叶っていない世界を見続ける」ことになります。
ただ、いくら「叶っている世界」で起きたことであっても、
「叶っている私の叶っている世界だから起きた」などと
因果関係で結びつけないほうが無難です。
たとえば「結婚して幸せな私だから出会いの機会がない」
などと捉えると、そのトンチンカンさにエゴが大騒ぎします。
(エゴが騒がなければ結び付けてもいいのですがw)
もっとも、「結婚して幸せな私」なのだから
もう出会いを求める必要はないのですが、
エゴの焦りなど不足感がある段階では、
エゴはなかなかそういう発想にはならないでしょう。
実際には、「結婚して幸せな私」の世界に
「出会いの機会がない」という事象・状況があるだけです。
これも文字だけならトンチンカンですがww、
「〜だから〜だ」と因果関係で結びつけずに、
「結婚して幸せな私」と「出会いの機会がない」を
それぞれに独立した事象として受け入れるほうが、
エゴの抵抗感ははるかに少ないでしょう。
まとめますと:
エゴには不都合・不足・問題に見えることも含めた
「現実の受け入れ」が「叶っている」の認定
でもあります。
それらを「受け入れない」(拒否する)ことは、
「叶っていない」の認定ともいえます。
そこで:
「現実の受け入れ」なんていうけど、
巷でよくいわれている「現実は無視」
「現実はスルー」と相反するのでは?
という疑問が浮かんでくるかもしれません。
この、よく言われる「現実は無視」の真意とは、
その事象・状況に意味や因果関係を持たせない
ということです。
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
おまけ☆スージーのこまごま願望実現日記![]()
私の住んでいる国には、日本でいうところの
「おしゃれ着用洗剤」が製品として一応あるのですが
日本ほど種類もなくなんとなく信用できないので、
(ものすごい偏見www)
何年も住んでいながら一度も使ったことがありません。
なのでニットや繊細な素材の服を着るのも買うのも
ついついためらってしまっていたのですが、
「何年も洗っていないカーディガンたちをいよいよ洗いたい」
という気持ちが日増しに強くなりましてww
「観念してあの洗剤を使うか」などと思っていたところ、
日本の食品や雑貨を取り扱っている通販アプリを偶然見つけ、
日本製のおしゃれ着用洗剤の何かしらがあるかもと
一縷の望みを持って検索したら、なんと![]()
私が日本で愛用していた洗剤が売っていました![]()
![]()
ああっ、もっと早く発見したかった![]()
![]()
いずれにしても、何年も洗われなかった(汚ね〜〜ww)
私の可哀想なカーディガンたちもやっと綺麗になりました![]()
いつもコメント、リブログありがとうございます![]()
この場でいうのもなんですが、心の底から感謝申し上げます![]()
記事を気に入ってくださいましたら応援してくださると舞い上がります![]()
![]()
