『人は必ず死ぬ』



当たり前のことですよね



母が他界するまで、私も他の人の死に遭遇したことはありました。



父方の祖母(祖父は私が生まれた時、既に亡くなっていました。)、



母方の祖父母、父の兄姉の死、父の友人の死、


私の友人の子供の死、友人の親の死、



私が去年入院していた時の、大切な患者仲間の死。



何も、「人が死ぬ」のを経験したのは、母が初めてではありません。



母が亡くなるまで、何人もの方のお通夜や告別式に参列してきました。



そのどれもがもちろん悲しかった。



私にとって最初の1番近しい人の死は、母方の祖父だった。



祖父が亡くなる数時間前に、私と母は祖父に会っていたが、



祖父が息を引き取る場面には遭遇していない。



私達が祖父のところに到着したのは、既に祖父が息を引き取った後だった。



祖母はそれから何年生きただろうか。



祖母も病院で亡くなった。



祖母が亡くなる前の数年間は、母が祖母を引き取って
私達は一緒に暮らしていた。



それでも私は祖母の息を引き取る瞬間に遭遇していない。



あれは、、母から連絡があったのだろうか、
母がそばにいたのだろうか。



よく覚えていない。



私が初めて本当に「人が息を引き取る瞬間」に立ち会ったのは、



去年の1月10日だった。
この日は私の親友の誕生日であり、私の誕生日の3日前だった。)



それは母が亡くなる約2週間前のことだった。



亡くなったのは、私が去年入院していた時に出会い、深く心を通わせた友人みっちゃんだった。



みっちゃんは、私とだいぶ年が離れていて、確か私の母とそんな変わらない年だったと思う。



どんな経緯でみっちゃんが亡くなったのかは、ここでは書かないけど、



その日の朝、みっちゃんの旦那さんから私の携帯に電話が入り



「先生に今日が山場やと言われました」と突然の知らせ。



その時、母は、入院中の病院から1泊で帰宅していた時だった。



私は家の用事を急いで済ませて、車を走らせてすぐに病院に向かった。



みっちゃんの部屋にたどり着いてから、みっちゃんが息を引き取るまでの約1時間、、
同じ入院仲間だったちーちゃんと


みっちゃんにずっとずっと声をかけ続けた。



みっちゃんのことが大好きなことを、何度も大きな声で伝えた。



「みっちゃん、大好きやで!」



「みっちゃん、ありがとう!」



人間の機能で、1番最後に残るのは『聴覚』だと言う。



息を引き取ってもまだ耳は聞こえてると言う。



到着してからみっちゃんが息を引き取るまで、そして息を引き取った後も私とちーちゃん、そしてみっちゃんの旦那さんは声をかけ続けた。



みっちゃんの死後、ちーちゃんと一緒にみっちゃんのお顔にお化粧もさせてもらった。



このみっちゃんの死が、私に取って生まれて初めて、「人が息を引き取る瞬間」に立ち会った経験だった。



そしてその次は母だった。



いつかへ続く