先週の日曜は東京での勉強会最終日。

最初の勉強会に東京に行った7月には、
 「東京は遠いな~」
 「東京に行くと人が多くて疲れるよ
」   とボヤいてばかりいましたが、

いざ、最終日となると
 「あ~、東京に来るのもこれで終わりだわ~」 
とちょっと寂しい気分です。

帰りの新幹線で気がついたこと。
東京駅

東京駅の駅名はオレンジ色ですが、
新神戸駅の駅名はブルー色です。

新神戸駅

JR東日本とJR西日本では色が違うんですね。
知らなかったです。
東京最後の日に気づいて、一人で関心していた私です。

☆新幹線から見る田園風景☆

新幹線から外を眺めると、
日本の原風景のような川や田園風景に魅せられました。

川の流れ

この風景をみていると、
大阪育ちの神戸住まいで田舎のない私ですが、
なんだかホッとします。
田んぼ

限りなく広がる田園風景はきっと
日本人の「心の風景」なんでしょうね


☆土地の所有制度は時代によって変わる☆

土地を持つ、ということは時代によって制度が大きく異なります。

土地は昔も今も人にとって大切な資産。
現代では土地を個人が自由に所有することができますが、
個人が土地の所有権を持つに至るには
さまざまな歴史があるのです。

奈良の大仏様が作られた天平時代、

「墾田永年私財法」

という法律が定められました。

読めませんよね~。

ひらがなで書くと
「こんでんえいねんしざいほう」

声に出して読めば、リズムがよくって
なんだか覚えやすいですが、

中学校の歴史のテストで感じを必死に覚えたことが
懐かしいです


奈良時代、土地は個人のものではなく天皇のものでした。
でも、この法律では、
「自分で切り開いて開墾した土地は孫の代まで自分の土地としてもいい」という画期的な内容。


紫式部や清少納言が活躍した平安時代。
土地は貴族の荘園地として管理されていきます。

そして
源頼朝が武士として初めて幕府を開いた鎌倉時代。

「一生懸命」の語源になった
「一所懸命」
これは
「一つの所(土地)に命をかけて守りぬく」
という意味だそうです。

武士にとっては自分の所領地を守ることが
何よりも大切な時代だったんです。

☆秀吉の『太閤検地』は
  土地の所有制度を変えた大革命☆


戦国時代の世が終わり
秀吉によって天下が統一されます。


そこで行われたのが『太閤検地』
土地の大改革です。


土地の価値は、
その土地から収穫できる米の多さで決められていました。

米の収穫量を「石高」であらわし、
石高がその土地の価値を表します。

そして、その石高によって年貢米が決まっていったのです。

秀吉はこの太閤検地で、
その土地の石高を正確に把握しただけでなく、

誰が土地の所有者であるのかを決め
その所有者が年貢を米の収穫量に応じて収める、
と決めたのです。

そして、土地の所有権は
誰が持っているのか
豊臣政権の公文書である『検地帳』に記載することで
土地の所有者であることが保証されます。


「公」が土地の所有権を保証することで

『それまでの武士の一ヶ所の土地に留まり土地を守り続ける』

という価値観が変化していくことになります。



そういえば、
秀吉の時代や江戸時代の初期には
戦国大名は城替えで
今までの自分の領地から
全く知らない新しい領地に移動になることが多いですよね。

例えば、
土佐藩主初代の山内一豊。
静岡から土佐に移封になりました。

自分の生まれ育った土地を
城主とその家臣や町民も一緒に離れて
新しい領地に移し住むことを受け入れていたことに
疑問を持っていました。

領地替えでも、土地への執着も薄れていて違和感もなかったのかもしれませんね。


☆登記制度の原点は太閤検地!?☆

公が土地の所有を記録したものが「検地帳」なら、

現代の制度では
法務局へ不動産の所有者が誰なのかを申請する
登記制度に当たります。

私たち司法書士のメインのお仕事は
不動産の所有者が変更になった場合の名義変更申請なので

司法書士のお仕事の原点は
「豊臣秀吉の太閤検地が原点だったんだぁ!!」


と想像すると

大阪城好きと
秀吉好きの私にとっては

かなり興奮した新幹線の旅でした


東京から神戸へ戻る新幹線の中で
考えていたことです。
ペタしてね読者登録してね