前回からの続きです
(令和元年10月14日のことです)
東大路通りへ戻り、南下していきます
すると道沿いの右手にあるのは新熊野神社(いまくまのじんじゃ)

住所・東山区新熊野椥ノ森町42
御祭神 伊邪那美神
速玉男命
事解之男命ほか9柱の神
御朱印めぐり 京都十六社朱印めぐり
HP→新熊野神社 駐車場あり(無料かどうかは確認出来てません🙇)
こちらには以前訪れています→以前の記事 画像はこちらの方が多いですが、ガラケー時代のものなんで画質は荒いです😖
この日は御朱印を頂いてませんが、以前の記事に載ってます(..)
駒札にあった解説を書いておきます
熊野信仰が盛んであった平安後期の永暦元(1160)年、後白河上皇が紀州(現在の和歌山県)熊野の神をこの地にあった仙洞御所法住寺殿の内に勧請して、当社を創建した。上皇の命を受けた平清盛は、熊野の土砂や材木を用いて社域や社殿を築き、那智の浜の青白の小石を敷いて霊地熊野を再現したとされる。
皇室の尊崇が厚く、社域は広壮、社殿は荘厳を極めたが、応仁の乱で荒廃し、現本殿(市指定有形文化財)は寛文13(1673)年に聖護院の道寛親王(後水尾上皇の皇子)により再建されたものである。
境内の樟(くす)の木は、熊野から移植した後白河上皇お手植えの神木といわれ、健康長寿、特に腹を守護する神、また、安産の守り神として信仰されている。
足利義満が初めて観阿弥・世阿弥父子の能を観た場所としても知られている。
(ほぼ原文のまま・一部注釈加筆)
今熊野神社で通りからも何が一番目立つかと言ったら、この大樟!

幹周6.58m
樹高21.9m
樹齢800年といわれる
(京都大知典参照)

駒札

後白河上皇お手植えの「大樟」さん
今から約830年前、当社草創の砌、後白河上皇は紀州国(和歌山県)の熊野から土砂、材木などをこの地に運び、熊野になぞらえて、その新宮、即ち新熊野神社を創建された。その折、熊野より移植、国家鎮護と万民福祉とをご誓願、お手植えされたのが、現在の大樟である。又熊野の神々がご降臨になる「影向の大樟」といい、健康長寿、病魔退散特に上皇が常にお腹を煩っておられたところから「お腹の神様」と信仰され、人々から「大樟大権現」と尊崇されている。
朝夕排ガスのは激しい場所にありながら、樹勢は益々旺盛で、日夜人々の営みを見守り続けている姿は、尊く畏き極みである。(京都市の天然記念物)
(原文のまま)
影向…神仏が一時姿を現わすこと
今熊野神社の模型があり、その大樟の大きさがよく分かります😲

手水舎

右手から入ると大樟により近づいて見ることが出来ます😄
前記事にその時の様子も載せてます
本殿

本殿は全国でも類例の少ない熊野造りの社殿だそうで、京都市有形文化財にも指定されいます
(京都大知典参照)
狛犬


今熊野神社の「梛」のいわれ
当社は古来「梛の宮」ともいわれ、梛(椥とも書く)の名所である。ナギはイヌマキ科の常緑樹。雌雄異株で、葉は多くの縦脈からなり、容易に切れにくいため、縁むすびの樹といい、また実は二ツ並んで仲よくみのるところから、夫婦円満の目出度い樹とされている。
歌聖、藤原定家(鎌倉初期の人)は「千早振る遠つ神代の梛の葉を切りに切りても祓いつるかな」と詠っているように、ナギは罪穢・災禍・病魔などをナギはらう霊験があると信じられ、熊野詣などには、道中安全のお守りとした。またナギは朝凪・夕凪のナギから安全・無事を守り、平和と幸福を招来する霊樹といわれている。
(原文のまま)
鬼瓦ならぬ八咫烏瓦

京都にもご存知のように、紀伊と同じように熊野三社があり、京都三熊野と言われています
熊野神社(左京区)
熊野若王子神社(左京区)
が他の二社となります
更に南下して散策は続きます
昨日はお陰様で無事に梅田に着けました😄
行きの電車もそんな混んでなく、ホッとしましたよ😊
散策も少ししたので、そのことはまた追々アップしたいと思います
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ






