大成寺から国道27号線を西へ向かうと、すぐに京都府舞鶴市へ入ります
JR松尾駅の前を通り過ぎると、信号があり金剛院口となってます
そこを左へ曲がると府道562号線
その突き当たりにあるのが金剛院です
こちらは過去にも訪ねて記事にしています(金剛院←押して貰うとリンクします)
手前味噌ではありますが、読みなおしてみたらかなり詳細に書いていたので、まだ読まれていない方はお勧めです
Σd(・∀・´)
前記事の宝物殿の部分だけ補完したのが、今回というとこでしょうか(^_^ゞ
『金剛院慈恩寺縁起』(元禄11年・1698年)によれば、天長6年(829年)、高岳親王(たかおかしんのう、799 - 865)が高野山から弁才天を勧請し創建したという。平城天皇の第3皇子の高岳親王は、嵯峨天皇の皇太子となったが、薬子の変に連座して皇太子位を廃された。親王は後に空海の弟子となり、真如法親王とも呼ばれる。
(ウィキペディアより)
という人物だそうです
その先の鹿原公園から見える三重塔

先に訪れた明通寺と同じです( *´艸`)
ただこちらは国宝では無いですが(^^;
でも他にも共通してることがあるんです!
こちらに前に伺ったとき宝物殿は見てなかったんです
その後こんな本を購入すると

絶対に訪れたい!京都の仏像
これでみうらじゅんさんが絶賛されてる仏像があったんです
それが明通寺にもあった深沙大将!
前回見てなかったのでずっと見たかったんです
玄関のインターフォンを鳴らすと出てこられて対応してくれました
拝観料は500円
そのまま住職さんが解説してくれます♪
宝物殿にはいろんな仏像が安置されてます
とにかく気になったのが深沙大将立像
聞いていると、快慶作で重文なんだそうです
その横に安置されてるのが、同じく快慶作の執金剛神立像
もちろん重文
こちらの2躯は快慶の20代の作品らしいんです
そしてこちらと同じセット?で高野山の仏像で重文に指定されているという深沙大将も快慶作なんだそうです
話を聞くと、それまで高野山の深沙大将はノーマークだったのに、なんだったかで快慶作と分かったそうです
すると飛び級式に一気に重文になってしまったということでした
こんなことは珍しく、さすが⁉快慶と住職さんと話てました(笑)
そして高野山の深沙大将とコンビ?を組むのは、金剛院と同じ執金剛神なんだそうです
それが快慶40代くらいの作品とか⁉
作った年代が違うのに、作った組み合わせが同じなのが興味深いとこですが、なぜそうしたのかは作品が少ないだけあってまだまだ研究の余地があるということでした
ちなみに20代の作品と、40代の作品とは同じ仏像でも荒々しさ(険しさ?)が違うそうです
ちなみにどちらの仏像も作例は少ないようですよ
そういう意味でも、こちらの仏像は見る価値高いと思います!
そう言えば、仁王さまも宝物殿に居られたのですが、こちらも快慶作じゃないか?というものだそうです
まだ認定はされていないそうですが
宝物殿の入り口に、本やら写真があったのでもちろん購入しました♪

左が深沙大将、右が執金剛神
写真は各200円
そうそう、先に明通寺で見た深沙大将とは全く雰囲気が違います
今回は明通寺の見たから見てなかった金剛院のも見とかなきゃと思い見たのですが、もしこの辺りへ行かれる方はとちらも見れたら違いが分かり面白いと思います
入れる袋

帰り道には、前にもアップしましたが平忠盛お手植えという杉があります

この日最後の記事となるのは夜間拝観です( *´艸`)
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ




