「わからない」という怪物と「沈黙」という誘蛾灯 | 美術作家 白濱雅也の関心事 

美術作家 白濱雅也の関心事 

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A matter of Shirahama Masaya's concern

 

状況が複雑になってフェイクなプロパガンダが溢れると真実は一層わかりにくくなる。疑心暗鬼も増え、賢明な人は慎重になって多くを語らなくなる。優しい人は議論も嫌だから話題にすることも避ける。すると一層怪しい発言が勢いを増す。

 

「わからない」という怪物が暴れ回る。

原発事故の時の放射能の影響もそうだし、コロナ禍でのウイルスの影響もそう。「わからない」不安が私たちを混乱させる。そして黙り込んでいく。

 

2014年のPOST3.11では祭、炎上、沈黙…そしてというサブタイトルをつけた。

今また同じことが起こっている。

 

何も言わないのが世渡りとしては賢明だけど、それがいいのだろうか?

何かを言ってどちらかに加担したくないという気持ちもあるだろう。でもそんな中立は可能だろうか?日本は明らかにアメリカ側にいて、何も言わなければそれを追認していることになる。

何かを言って悪い影響を与えたり、炎上したりしたくないという気持ちもあるだろう。私は割と発言している方(かなり抑制してますが)ですが、炎上もしないし、影響与えるほどの反応なんて全くない。影響与えるほどになってほしいわと思うこともある。そんな簡単にインフルエンサーになんかなれない。

わからない状況なんだから間違いもある。

 

世界を混迷させるときほど色々な誰かの意見を聞きたいし、読みたいと私は思う。情報収集に長けた人もいれば、分析に長けた人もいるし、もっと俯瞰的な見通しを立てるのが得意な人もいれば、もっと感情の機微に敏感な人もいる。色々な人の叡智が交わる方がいいのではないか。

黙していては黙認と似た行為になってしまう。

 

ひとりの考えや行動は何も変わらないとは思う。

でも、ならばなぜ誹謗中傷が人が死ぬまで追い詰めるのか?なぜ、世論で世間が動くのか?

そういう力がなぜ権力に向かって力を発揮できないのだろうと素朴に感じている。