神様コンシェルジュ新地亜紀の
同居人みっちゃんです。
自分でみっちゃんと言うのもいかがなものかと思いますが、
・・・・・・まぁいいか。
ご訪問ありがとうございます。
★…★…★…★…★
前回の平等院で、ちらっと小野篁の名前が出ましたので、
今回は、小野篁ゆかりの六道珍皇寺を、別blogの過去記事より
再アップです。
前回も、私が書いているようですね。
『今昔物語集』の中に、こんな話が収められています。
「今は昔。小野篁という方がいらっしゃいました。
ある日、まだ学生であった篁は、その優秀さ故に、遣唐副使という
大役を任ぜられました。
しかし、大使である藤原常継との間に争いが起こり、遣唐副使の役目を
断ってしまいます。
天皇の命に背いてしまった篁は、罪に問われ、一切の官位官職を奪われた上、
隠岐へと流されることになってしまうのですが、参議であった藤原良相に助けられ、
一年ほどで赦されることが出来ました。
時が過ぎ、篁が参議となっていた頃、右大臣となった良相が、
重い病に倒れてしまいます。
もう数日で命を落とすと思われた時、良相は、冥土での行き先を決める
閻魔様の裁判に掛けられることになりました。
裁判が始まり、ふと、閻魔様の両脇に並ぶ冥官達を見渡した良相は、
その中に篁の顔を見つけ驚きます。
つと、閻魔様の前に進み出た篁は、
「この大臣は、心の正しい、人の為になる立派な人間です。
どうぞ私に免じてお赦し下さいますようお願いいたします」
と、申し出ます。
「大変難しいことではあるが、他ならぬ篁の頼みであれば」
そう言って、閻魔様は、良相を現世へとお戻しになられました。
やがて回復した良相は、不思議な出来事を忘れることが出来ず、
ある日機会を得て、篁にどういったことであったのか問い掛けますが、
篁は、ふと微笑んで、
「昔、受けた恩が大層嬉しく、そのお返しをしただけです。
どうぞ他言は無用として頂きますように」
と、その場を去ってしまいました。
あの出来事は夢ではなかった。篁は、ただの人ではなく、
閻魔庁の冥官であったのだ。
人に対しては、常に誠実であらねば。
そう思い、人にも説くようになった良相を見て、やがて人々の間にも
冥官としての篁の存在が囁かれるようになり、畏れ敬われるようになりました」
小野篁は、聖徳太子の時代の遣唐使、小野妹子の一族の末裔で、
嵯峨・淳和・仁明の三代の天皇に仕えた官僚です。
小野小町の祖父にあたる実在の人物で、武芸に秀で、学者、
歌人としても名を残しています。
上の話の中にも出てくる通り、閻魔様にお使えする冥府の官僚
としての一面もあり、鳥辺野の六道の辻近くにあった6つの御堂の一つ、
「六道珍皇寺」の裏庭にある井戸より閻魔庁へと出仕し、朝になると、
化野の福生寺の井戸(生の六道)もしくは、蓮台野の千本閻魔堂の
井戸から地上へ戻ってきたと伝えられています。
安倍晴明ほど有名ではなくても、陰陽道に関わる話を辿っていくと、
役小角や、吉備真備、天海上人と並んで、小野篁の名も、
思いがけず、寄ることが出来た六道珍皇寺ですが、中に入ると、
閻魔坐像(篁作と言われる)と篁立像が並んで納められている閻魔堂(篁堂)。
精霊迎えの時に、冥府に入った死者を呼び戻す為に鳴らされるという鐘楼。
薬師三尊像を安置した本堂。
水子地蔵の群れと、墓地。
と、こじんまりとした感じで、あまり広い境内ではありませんでした。
井戸がないなぁと探すと、奥に看板が出ていました。
近くまではいけませんでしたが、格子窓から覗けるようになっていたので、
早速中を窺うと、遠くにあるのに、妙に井戸と小さな社だけが
はっきりと浮かび上がって見えて、まるで吸い寄せられるような
錯覚を覚えて、薄ら寒い感じを覚えてしまいました。
実家にもあるし、子供の頃の遊び場としていた神社にもあったので、
井戸は見慣れている筈なのに・・・。
いやー、幽霊が井戸から出てくるとか、冥府への入り口だとか言われるのも
なんだか分かる気がしてしまいました(笑)
ここに来ても、やはり小野篁が、何故冥府の官吏となったのかは
説明がされていなかったのが残念です。
でも、行ったことによっていろいろと調べるきっかけになり、実は、
優秀さ故に自分自身を頼りとし、こうと思ったことに対しては
全く譲らなかった頑固者だった。とか、
異母妹と禁断の恋をしていた。とか、
188センチの長身だった。とか、
ある意味、腐女子心をくすぐる人だと知ることが出来たのは収穫です(笑)
2006年の記事だったので、もう10年も前になるのですね。
西国三十三箇所の六波羅蜜寺への道中に、一方通行の道で、
うっかり道を曲りそこね、たまたま前を通ったのが、六道珍皇寺でした。
名前位は知っていましたが、あまり知識のなかった小野篁。
今では、いろいろな作品に登場しています。
文武両道で非常に優秀なのに、反骨精神から、野狂とまで称された篁。
やはり、多くの人にとって、魅力的な人物だということでしょうか。
藤原良相を救ったと伝えられている篁ですが、
京都市北区にお墓があり、その隣には、紫式部のお墓も並んでいるそうです。
これは、篁が、愛欲を描いた咎で地獄に落とされた紫式部を、
閻魔大王にとりなしたという伝説があるからだそうです。(歴史書『今鏡』より)
仏教で定められている不妄語戒(嘘をついてはいけない)を犯し、
男女の愛欲を描き、人心を惑わせた罪で、大焦熱地獄へと落とされたと
『今鏡』に書かれた紫式部。
歴史書に書くほど、紫式部が地獄に落ちていることを信じていた当時の人は、
それならば、小野篁に助けてもらえばいいのでは? と、
篁のお墓を、わざわざ紫式部のお墓の隣に移したと伝えられているのだそうです。
篁にとっては、何ともはた迷惑な話ではないでしょうか。
それにしても、紫式部の人気もすごいですが、
紫式部が生まれる120年も前に亡くなった篁の人気も、
昔から、すごいものだったのですね。
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