前回のブログで

 

・願い事は叶うのか①

 

昔20代の頃に友達同士で集まって、それぞれの願い事をカフェ・ヴェローチェで書いて「ヴェローチェノート」というのが完成した話があったのですが、ちょうどその時に「願い事って、ある程度具体的に決めなきゃな」と決めた出来事が自分の身に起きました。

 

ちょっとしたことだったのですが、当時20代の僕は本当にお金がなくて、でもなぜか知らないけどご飯をご馳走してくれる人がたくさんいました。多分、僕が当時から「就活のSPIではじめに出てくる鶴亀算が全く解けなくて、なんで鶴とかの鳥の足は2本で、亀の足は4本なのか。それって、進化の途中で何が起きたのか自分なりに考えてみました」とか、そういうわけのわからない話をずっと考えていて、そういう話を考える暇がなくなった「社会人」の人達から面白がられたのかも知れません。

 

そして、その日の夜もご飯をご馳走になっていて、「〇〇君って、恋愛は?」って言われて、その時の僕は貯金が52円しかなかったので、「いやぁ、恋愛なんて無理ですよ」と答えました。その人は「恋愛とお金、そして貯金は関係ないと思うけどな。恋愛はしたいの?」と言われ、「そりゃしたいですよ」と答えました。

 

「じゃあ、どういう人が好きなの?」と言われ、「わからないですね。具体的に考えたことがなかったから」と答えて「じゃあ、誰かと付き合って、あなたはどうなりたいの?」と言われて、その質問に対しても「わからない」と答えました。

 

そしたらその人が

 

「ずるい」

 

と言いました。ちょっと驚いてその「ずるい」と言われた理由を尋ねると

 

「自分がどういう形になりたいのかをわからないで、恋愛に限らず、他人に自分の形を教えてもらおうとするのは高校生までで卒業すべきだと私は思う」

 

とその人は言いました。

 

その人は帰国子女の人で、その当時も外資系の仕事をされていたので、そういう思考が強くありました。

 

正直、今の自分ならこの人に言われたことに対して100%同意するわけではないけど、このタイミングで言われたことはすごく突き刺さったのを覚えています。次の台詞も。

 

「あなたが今恋愛をしていようが、していまいが、それはあなたのタイミングっていうものがあるだろうし、恋愛は別にあなたが言っているように、今恋愛する余裕がないっていうのも正しいと思う。でもね、恋愛だけじゃないんだけど、あなたがこれから先に何者かになりたいんだったら、やっぱり具体的な形は努力して練り上げていくべきだと思うよ。そういう形を持って、もがいている人を、人は応援したいから。その形って、自分探しじゃなくて、人の顔色を見ることでもなくて、日々何かを謙虚に感じようとする人にしか気づけないものだと思う」

 

と言われて、その日の夜のことって今でも思い出します。たしか渋谷の焼き鳥屋さんでした。

 

それから何年か、今に至るまで「願い事を叶えるって何か?」ということを考えてきたのですが、僕の今の回答って

 

「願い事って、具体的な回答を出すことが大事なんじゃなくて、願い事の方から好かれるためにどういう人間であるかを自らに問い続ける」

 

ことなんじゃないかと思っています。

 

でも、それはまた別の話なので、まだもう少し当時の話を続けていきたいと思います。

 

ではまた後日。