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歴史アロマ香水®を作っています桃龍 風林佳保利です。
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今回は、本能寺の変の続きをと思い中国どんでん返しを書きます。


天正10年(1582年)6月3日。

中国攻めの最中だった豊臣秀吉のもとに、主君・織田信長が本能寺で討たれたという衝撃の知らせが届きました。



その頃、秀吉は備中高松城(現在の岡山県)で水攻めを行っていました。しかし秀吉は、この重大な事実を周囲に伏せたまま冷静に行動します。

まず毛利方との講和交渉を進め、城主・清水宗治の切腹を条件として和議を成立させました。


講和が成立すると、秀吉はただちに軍を反転。備中高松城から姫路、尼崎を経て京へ向かう驚異的な強行軍を開始します。


後に「中国大返し」と呼ばれるこの行軍は、日本史上屈指の電撃作戦として知られています。

そして秀吉は、主君の仇である 明智光秀 を討つため進軍し、ついに山崎の地で激突します。


こうして起こったのが、天下の行方を決定づけた 山崎の戦い でした。


本能寺の変からわずか11日後。

秀吉は光秀を破り、「信長の後継者」として天下への道を大きく切り開くことになるのです。


光秀は、坂本城に帰る途中、竹藪の中で落ち武者狩りにあい最期を遂げました。


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