こんばんは。
歴史アロマ香水®を作っています桃龍 風林佳保利です。
このブログを読んでいただきありがとうございます🙇
昨今、古文不要論がちらほら出ているとの事。
本当に不要なのか?と疑問に思います。
「古文不要論」が出るのは、
「現代社会で直接使う機会が少ない」
「受験のための暗記科目に見えやすいので覚えにくい」
「読みづらい」
わからないから居眠りタイムの悪ループにはまるからだと思います。
ですが、古文の価値は「昔の言葉を読むこと」そのものだけではないです。
受験の道具ではないです。
「古典の授業がなくなる」と聞くたびに思います。
そもそも、なぜ古典に興味が薄れてしまうのだろうか?
それは、古典が“昔の難しい文章”として扱われているからかもしれない。
でも見方を変えれば、古典は案外、今と変わらないです。
古文を学ぶ利点は、
- 日本語の成り立ちがわかる
助詞や敬語、言い回しの由来を知ると、現代語の理解も深まります。 - 人間の本質が見える
恋愛、嫉妬、出世争い、愚痴、権力争い。
たとえば、源氏物語は恋愛や人間関係(現代で考えると推し活をめぐる女の闘い)、枕草子は日常の観察や本音や愚痴、大鏡 は週刊文春のように政治や人物評が描かれていて、驚くほど「今」と変わらないです。 - 現代を相対化できる
今の価値観が絶対ではないと気づける。
400年前の人が本気で悩み、笑い、怒っていたことを知ると、「時代が変わっても人間は案外変わらない」と見えてきます。 - 読解力と思考力が鍛えられる
限られた情報から文脈を読む力は、現代文や社会を読み解く力にもつながります。
古文は「昔の死んだ文章」ではなく、未来の私たちへ続く日本語の記録。
不要かどうかで切るより、「どう面白く伝えるか」を考えるべき教養だと思います。
そう考えると、古典は決して遠い世界の話ではない。
平たく現代語訳にしてみると、恋愛、嫉妬、噂話、見栄、承認欲求といった、人間の普遍的な感情が詰まっています。
そして、
もし400年後があるなら、私たちが今読んでいる小説やSNSの文章もまた、「古典」として読まれるのかもしれません。
未来の誰かが、令和の投稿を読みながら、
「この時代の人々も、恋に悩み、人間関係に疲れ、誰かの言葉に救われていたのだな」
と思います。
古典とは、古びたものではなく、時代を超えて残った“人間の記録”と言えます。
最後まで読んでいただきありがとうございます🙇


