「やっと逢えたね」
この言葉、作家の辻仁成さんと女優の中山美穂さんが出逢ったときに
辻さんが発した言葉だそうです。
それを聞いた当時はなんてキザな人なんだろう~と想いながら
聞いているこっちが照れちゃうよな~・・・なんて想ったのを覚えています。
でも最近、辻さんが言った「やっと逢えたね」の意味が、
なんだかとても深いところで腑に落ちたような氣がするんです。
それは最近私自身もずっと一緒にいた人に
「本当にやっと逢えた」
そんな氣がしているから。
私はずっと彼がこちら側に来るのを待っていました。
自分自身の氣持ちを押し殺して待っていました。
そんな自分をちょっぴりかわいそうと想いながら、
もしくは悲劇のヒロインを演じながら
そして時にはその感情さえスルーしながら・・・
でも、私、氣づいたんです。
もしかして、私は待ち合わせの場所を勘違いしてるんじゃないか?と。
もしかして、彼と待ち合わせているのはここじゃなくてほかの場所なのかな?と。
もしかして彼は、他の場所で私を待っていてくれてるんじゃないだろうか?
案の定、彼は待ってくれていました。
私は自分が一方的に3年間待っていただけだと思っていたけど、
彼が違う場所で3年間待ってくれていたことに昨日やっと気付きました。
その食い違いには私の思い込み、自分への信頼の低さ、
そして彼への信頼の低さが、今想えば原因になっていたように思います。
コミュニケーションが、圧倒的に足りていなかった。
それが私自身のゆがんだ思い込みを作り出していたんです。
あれだけ周りの人が言ってくれていたのにもかかわらず・・・。
きっと周りの人は相当やきもきしていたでしょうね。
でも私の周りの方はみんな私に絶妙のタイミングでヒントをくれながら、
私自身が自分で氣づくのを待ってくれていたんです。
そしてようやく氣づいた。
私が氣づいたから、彼も氣づいたのかもしれません。
その逆かもしれません。
そして二人は、やっと逢えた。
ずっと一緒にいて一番近くにいたと思っていたけど、
これまでの一緒にいる感覚と、今一緒にいる感覚は
全然違う感覚なのです。
でも、その待ってくれていた3年間。
そして私が待ち続けていた3年間。
お互いがお互いを待つ氣持ちは、
まぎれもなく相手を想う、大きな氣持ちが原動力になっていた。
自分を信じて、相手を信じて、
時には絶望しながら、そして希望を持ちながら・・・
そんなふうに崖っぷちを行ったり来たりして・・・
それを想うと、それぞれの中でお互いへの氣持ちを育ててきた
そして自分自身の氣持ちを育ててきた・・・
そんな3年間だったのではないかと思います。
ようやく私たちは待ち合わせ場所が違うことに氣づき、
それぞれがお互いの待ち合わせ場所に向けて歩き出した。
それで「やっと逢えたね」。
そんな感じがします。
世の中には争いやすれ違い、憎しみや悲しみなど
いろいろな身を切るような辛いこともたくさんありますが
もしかしてそれは、待ち合わせ場所の違いから起こっていることかもしれません。
こどもの成長を願うゆえの親の厳しさ、
そしてその厳しさを愛されていないと勘違いしてしまう子供。
両者はお互いに愛情を持っているにもかかわらず、
違う場所で待っているのです。
待てども待てども相手はこない・・・・
そうして自分の中に生まれる不安感や絶望感・孤独感・・・
私も子供のころ、それを感じたことがあります。
でも大人になって客観的にその時の状況を見た時、
私は愛されていたってわかりました。
すごくすごく愛されていたんだって。
ただその愛情を受け取れない場所で
私はただ一人で待っていただけなんだって。
これからは誰かを待つことがあっても、
常に相手に向かっていたい。
自分の中に閉じこもってひとりでいじけて待つのはやめよう。
そう強く想っています。
1日でも早く、そうやってたくさんの人と
「やっと逢えたね」
そんな再会をしたいなと心から願っています。