全部ひっくるめての自分 | 問いの途中

問いの途中

“こうあるべき”をほどきながら、
自分の声に耳をすませて生きています。
正解じゃなく、問いの途中を楽しむ人。

自分のことを知りたいと思ったとき、

誰かに自分はどんな人間か聞きに行く?

自分で自分はどんな人間か探りに行く?

 

 

私がスピの世界に入ったのも、<自分のことが知りたい>がきっかけだった。

だけど、誰かに教えてもらうものだとは思わなかった。

 

他の誰かより、自分の方が自分のことをよくわかってるはずで、

自分で自分のことがわからないのに、

他人の方が自分をよく知ってるなんてことは何だかおかしいと思ってた。

 

 

もちろん無意識な部分は自分で気づけないこともたくさんある。

だから自分だけですべてをカバーするのは無理だし、

誰かの力を借りることももちろん必要。

 

だけど、自分の知りたいことだけ聞く、

見たくないものは見ないっていうのは違うよ。

 

自分の何が知りたいのかにもよるけど、

自分が思ってた自分と、見えてきた自分が全然違うとして

そこにショックを受けるのが嫌だから知りたくないんだとしたら、

興味本位で知るべきじゃないよね。

 

自分の都合の良いことだけ知って、

やっぱりそうだよねって安心したいだけなら、

むしろ、当たり障りのないことしか教えてくれない人に聞けばいい。

 


 

知りたいんだったら、良いことも、悪いことも、全部含めて知るべき。

だってそれが本当の自分だから。

 

なのに自分が知りたいって言っといて、

都合が悪いこと言われたら、逆ギレするんだったら、

私は本当の自分が知りたくない!って言ってるのと同じ。

 

かっこいい自分も、可愛い自分も、情けない自分も、

ぜーんぶ含めての自分。

 

情けない自分がいるからうまくいかないわけじゃなくて、

かっこいい自分がいるからうまくいくわけでもない。

 

本当に自分を知りたいと思ったら、

誰かに教えてもらうのもいいけど、

まずは自分で自分を知ろうとすることから始まるんじゃない?

 

そもそも知りたいと思うのは、

今の自分が嫌だから、何とか変わりたいとか、こんなはずじゃないって

強い動機があると思う。

 

知るだけで何か変わることもあるかもしれないけど、

知って、現実を突きつけられて、それでもこれからの人生に必要だと思うなら、

知ればいい。

 

 

だって本当の自分を知らなくたって生きていけるし

ぬるま湯が一番楽に決まってる。

 

でもこれからの人生を考えたときに、

本当にそれでいいのか、一度じっくり考えた方がいいよ。

 

今からでも十分、本来のルートに戻ることはできる。

しかも今までの自分を否定することなく。