共著で本を書いた精神分析医・斎藤学氏に、
久しぶりに手紙を書いた。
思えば、私は彼に対して15年前くらいに、
5年間くらいにわたって大量の手紙やメールを書き続けたのだ。
20年くらい前、ウツになり、
当時最も著名だった精神分析医の彼のところに行った。
彼の治療を受けることが
ちょっとしたステイタスだった時代に、
彼は「あなたの主治医になる」と自ら名乗りを上げてくれた。
それは当時の自分の
小さなプライドをみたしてくれた。
彼は「あなたは治しちゃダメだ」と言った。
「あなたのエキセントリックなところが魅力なのだから、治しちゃだめだ」と。
ウツは病気ではなく、単なるエキセントリックなのかい?とも思ったが、
私は彼が、手放しで私を受容してくれたことを理解した。
普通の社会では出会うことがない感覚だった。
役に立つとか、見た目がどうだとか、こういう肩書きだとか、
そういうのを一切はずしたところで、
その精神科医は私に関心を持ってくれている。
その関心はいったいなんなのだろうと、
そのことに私は関心を持った。
この人は何を考えて治療という行為をしているのかと。
で、同時に私はこんな風に言った。
「自分はライターなんだけど、文章を書けなくなっている。
ライター以外の仕事を探さなきゃいけないだろうか」と。
そうしたら彼はこう言ったんだな。
「自分があなたの読者になるから、
なんでも好きなことを書いてきたらいい」と。
なんだかそれが嬉しくてさ、
メチャクチャやたらめったらに、
自分のことを書きまくったわけだ。
5年間も。膨大な量の文章を。
文章を書くことがこんなに面白くて自由なこととは知らなかった。
(私もノーギャラで書き続けたけど、彼も無料で読んでくれた)
だからついつい書いちゃうんだよね、フェイスブックでも。
自分の書きたいことを抑えることのほうが難しいくらい。笑
それは彼との関係性で培われたもの。
また、今思えば、彼はけっして私をジャッジしなかったんだよね。
だから今の自分がある。
ジャッジはコントロールだ。
自分が「こうあるべきだ」と思う方へと
人をコントロールすること。
ジャッジしない状態とは、信頼。
相手がどうであろうとただただ信じること。
こういう人(精神科医)と出会って、
蜜月期間を過ごしてしまったもんだから、
他のものがまがいものに見えて仕方ない。
最近、知見を広めようと思って、
数人の人気のある人のチャネリングとか
リーディングとか受けたんだけど、
こんなにジャッジやコントロールしてるのかとびっくり。
しかも私は、かの精神分析医の洗礼を受けてしまっているもんだから、
ジャッジやコントロールにいちいち苛立つのなんのって。
先に彼を知っといてよかったよ、ほんと。
思えば、ゲリーもノージャッジの人だったよな~。
驚くぐらいに。
久しぶりにその精神科医に書いた手紙の
一部を引用しようかと思ったけど、電池切れ…。
10年前に齋藤学氏と共著で
書いた本『ヘンでいい。』は絶版だけど、
アマゾンではまだ買えるみたい。
