ムスメのガル子は約4年半をシカゴで過ごして、日本の高校へ戻ったため、今のネバダの家に戻って来ても友達はいない。
はて、毎回の休みをどのように過ごすのがベストなのか、を考えるようになり、カノジョがスコアをあげたいと思っているTOEFLの勉強ができる環境を作れないか、と動き出したのが全ての始まりである。
知り合いから知り合いへそしてまた知り合いへとつながり、ネバダ大学で英語を教えていた先生に辿り着いたのである。
その先生が、一度ネバダ大学を見学したらいい、と誘ってくれ
、しかも、アメリカの学生と留学生を集めておくから、色々と話を聞くといい、とヒアリングの場を設けてくれたのだ。
その場所へ行くと、3人のアメリカ人、香港出身の学生1人、日本からの編入生1人がガル子を待ってくれていた。ガル子、「ゲー出そう」と緊張マックス。
そんな中、先生が、じゃ、まずドリンク何にする~と、オーダーを取り始めた。
喫茶店か、ここは。
途端カジュアルな雰囲気に。おかげで、ガル子のゲェ引っ込む。
「あたし、キャラメルマッキアート、じゃ、あたしグリーンティラテ~」と。せやせや
スタバあったもんな、この大学。
じゃ、あたし、フラットホワイト~とオーダーにのっかったオカン。
オマエも飲むんかいっ
とネバダ大学の留学生課のオフィスでおごってもらったワタクシ。
カノジョらとの話は、約1時間、ノンストップであった。アメリカの大学留学の情報が載ったネットや雑誌の情報とはだいぶ違う生の声がどんどん出てくる。
ガル子が一番驚いていたのは、彼女たちは、一旦大学に入って決めていた専攻の授業を取り始めたものの、自分のやりたいことと違うと思い始めて、専攻をはたまた大学自体を変えたことであった。
アメリカ人の一人は、IVY校という名門8大学の一つに合格し、生物学の研究者になるために学び始めたのだが、やりたかったことと違うと気づき、その大学を捨て、ネバダ大学で英語の先生になるための専攻(メジャー)をし、もう一つの専攻(マイナー)で生物の教師になるものを取ることにしたのだと。
香港出身の彼女は今の専攻は4つ目であると言った。そして、みんな口をそろえてこう言う。
「やってみて、違うと思うことがあって当たり前。それにやりたいと思う事が変わることだって当たり前。」「大事なのは、自分は何をしたいのかしっかりと向き合って、やりたいことをやることなのよ」と。
四十路のオバハンにハタチの言葉が突き刺さる
ワタシの場合はどうだっただろうか、と思い返していた。中学受験をし、中高一貫で勉強ばかりの日々。大学に合格した時には、ゴールに辿り着いた気持ちでいっぱい。大学で、本当にやりたいことなど、深く考えていただろうか・・・と。また思い出す、メロンパンの列に並ぶのにダッシュしていた自分・・・
ムスメは以前高校での話をしてくれたのだが、これから大学に向けて学びのスピードが加速していくと思っていた中で、学びのスピードが減速している人がある程度いるんだと。
私は後者の人間だったので、その感覚はよくわかるし、大きな受験を終え、その先を約束されたのだからと、そうなる理由もガル子には伝えたが、ガル子が「加速化」の方であるのもまた、アメリカに暮らしているのでよくわかる。
アメリカの少しずつ「学びたいスイッチ」を入れていき、高校4年生でそれをマックスに近いところまで引き上げ、その後の4年間が、「猛勉強」の期間である、というスタイルをガル子は高校1年生までアメリカで経験したからだ。なのでガル子は今もなお、そのアメリカンスイッチを搭載したままなのだとオカンは改めて思ったのである。
色々あってそれでいい。色々が集まる高校だからこそ、ガル子はこうやって本当にやりたいことを考えるきっかけとなった。さらにネバダ大学で生の声をきくことで、迷いも吹っ切れたのではないだろうか。
ガル子は2年後の自分の進むべき道をほぼ固めたようである。何が良くて、正解で、何が悪いなど何もない。親として、カノジョの決断を楽しみにし、そして応援していこうと思う。その場所が日本だろうと海外だろうと。
明日は、カノジョたちから聞いた、そんなモンまであるんですか?バナシをひとつ。あはは、明日のブログにまじめさはゼロ。
