サプライズは朝から始まった。
同じ通りに住む同級生が、朝のスクールバスが到着する前に家まで走ってきて、このバッチを渡した。
バースデーガール。
これを今日一日中つけておくようにと。
すぐにつけてバスに乗り込む。
見送りながら、これから起きるであろうサプライズを速攻妄想した。
どんだけ思い返しても、こんな思い出、自分の学生生活にはあらへんがな。
学校へ行くと、自分のロッカーがなんとデコレーションされていた。
お誕生日のデコレーションは親友がやることになっているのだ。
これを許す学校は本当にすばらしい。
「祝う」ということにとことん寛容。
このデコレーションは、お誕生日の前日、学校が終わると同時にデコレーションをする子供とそのお母さんが放課後に学校に残り、せっせと作成するのだ。
毎朝、8年生の子たちが今日の予定と気温などを放送し、その後にお誕生日の子の名前を言う。この日は娘の名前が呼ばれたのだが...。
娘が通うスクールでは、ずいぶんと久しぶりの日本人らしい。つまり、慣れてへんねん、日本語名サウンドに。なんたらッシュや、かんたらンスキーみたいな、ポーランド名はしゅっとゆえるクセに、この8年生の子、うちの子の名字をあともう少しというところで噛んでもうたらしい。校舎全体に8年生の読むことをあきらめた笑いとそれでもがんばろうとする、ごにょごにょとした音が響いたらしい。
そしてホームルームで先生が、そういえば、今日は誰かさんのお誕生日だったなぁ、と言い出した。クラスのみんなが娘を指さし、バースデーソングが始まった。1曲歌い終わるまでの間、娘は立ってくるくるずっと同じ方向に回されるという新しいおもてなしを受けた。
帰ってきた時にもテンションがあがるように、家にバルーンを仕込んでおいた。
子どもが小さい頃は、タイにいた。
それこそクラスの子いっぱい呼んで誕生日会をやった。パーティの派手さは年々増してゆき、えらいお金持ちの子のパーティは、本物のポニーよんでパッカパッカのせたりして、貴族の遊びみたいにたってもうてた。策が尽きたのか、色々考えるのを止めたのか、翌年には、本物の象が来た。もう王さまレベルや。
うちの子12歳。
パーティはええわ、と。ロッカーをデコってくれた親友とお泊まり会、そうsleepoverをすることにした。
もう12年も経つのか、と12のキャンドルを買う時に思った。
産んだその瞬間、誕生日とは自分のためにあると思っていたが、産んでくれた「母」が一番頑張った日やないか、と知った。
えらいもんで、12年も経つと、あの頑張った日々はそない頑張った感を残していない。母にとっては、誕生日はやっぱりその子のためにあるんやと、思った。
teen が付く年齢になるまであと1年を切った。
ティーンになりたい気持ちと、そのティーンまでの間のbetweenの年という意味で、twenteenと呼ぶらしい。英語はいっつもしゅっとしとおる。わたしらがようゆうてたんは、8歳と9歳の間で、白菜。
もっさいなぁ。

