瑠香ですにっこり



お久しぶりです。去年の年末、久しぶりに安房神社へ参拝しました。突然決まった安房への旅。


6年前だったか、忌部氏が気になっていた時期に千葉のお友達に連れて行ってもらったことがあります。


それ以来のことで、わたし的には忌部関連はもう終わっている感じがしていたのに、ここに来てまさかまた忌部の流れがやってくるとは思いませんでした。




忌部の流れが来た、と言ってもとくに何かあったわけでもなく、ふつうに楽しく参拝しました(笑)






途中で彩雲が現れましたキラキラ こうして美しい現象として見せてもらえるのは嬉しいですね照れ


なんと翌日にスマホが突然おなくなりになって、スマホなしの正月休みを過ごすという安房神社のパワーを早速あやかってしまいました(笑)




洲崎神社の展望台には金の鷲(鷹?)もいました。天日鷲命ですね〜

 

なんだか一周回って(2、3周?)今再びの忌部がやってきています笑




去年あたりからずっと追っている女神と信仰があります。


天甕津姫(アメノミカツヒメ)と甕(ミカ)信仰です。


甕信仰は北九州をメインにしていた多氏が信仰していたそうです。なぜかわたしは、この甕信仰なるものに謎に魅了されていました泣き笑い


で、甕信仰を探っていて天甕津姫という女神の存在を知りました。

彼女は出雲の古い神とされていますが、この女神を辿っていくと阿波忌部の系図に辿り着きます。


しかも甕という名前がついてるのに、多氏ではなく出雲?忌部??どうゆうこっちゃ?泣き笑い 




天甕津姫と甕信仰のことは一旦置いておいて…



阿波忌部の系図を見ると、阿波忌部の祖神である天日鷲命の上に天背男命という神様の名前が見て取れます。



天背男命は阿波忌部の親神的な存在です。


※天石門別命と表記されることが多いですが、天背男と同一神だと言われます。

その名前が星神であり悪神とされる天香香背男(天津甕星)とも同一神とされます。名前の響きがほぼ同じですしね!



ほんで、天背男とは何者なのか?


これを去年1年くらいずっと追っかけたりしていました。

間に別の古代氏族も調べたりしていて、ごちゃっとなったり、別のこと調べてたのにまた忌部に戻ってきたりして。

調べれば調べるほど、堂々巡りしてしまう泣き笑い

興味対象がひとつに定まらないのもいけないんですがね。これは自分の性質なので仕方ない爆笑



てすが、堂々巡りしてしまうはずです。

調べていた有力氏族(多氏、安曇氏、物部氏など)はみんな共通の信仰を持っていたかもしれないから。

それなのに、その信仰をバッサリと可能性から外していたんです笑い泣き




去年、出雲口伝にハマっている時期があって色々吸収していく中で印象的な部分がありました。



「日本では星神信仰は流行らなかった」


出雲王家と言われる富家の口伝では、星神は物部氏が持ち込んだもので物部はそれを流行らせようとしたが、日本は太陽信仰が根強くて(後のアマテラスは物部大和による太陽信仰の乗っ取り)、星神は人気がなかったと。

それで今度は太陽信仰に対抗して、月神信仰だった豊国の宇佐族と結託して大和へ進出したと。



たしかに星神信仰と言ったら道教だし、道教は物部氏の祖である徐福が持ち込んだものだと出雲口伝でも語られます。


日本の神道の土台は物部氏が作ったもので(形を整えたのは中臣氏)、道教の影響もかなり感じられます。

星神信仰=道教とすると、冨家の伝承はリアリティがあると思いました。


だけどね〜、その説を一旦は採用していてみたものの、やっぱり掘り下げていくと違和感が出てくるのです。


違和感…というか謎が更に深まって、ズブズブ深みに嵌っていくかんじ笑い泣き(そして抜け出たと思ったら最初に戻ってる!堂々巡り!)



その理由のひとつは、古代の日本で活躍していた氏族をそれぞれ分けて見ていたからで。

それぞれの古史古伝や信仰の形を単一で見ると一氏族からの視点になってしまうのです。当たり前のことですが泣き笑い



安曇氏や多氏、忌部や物部、出雲族を大きなひとかたまりで見てみたときに、やはり共通点として浮かび上がってきたのは海、そして星の信仰だったのです。


律令制度前の古代の日本、彼らは海を縦横無尽に行き来していました。


もちろん大和の中央政権後も海路の行き来は続いていたし、忌部も安曇も海を渡る民でした。


忌部氏が四国から黒潮に乗って房総半島の安房へ向かい開拓した3〜4世紀頃と違うのは、彼らが国の管理下に置かれたこと。


これにより海の道は制限され、自由に行き来が出来なくなり、絶大な影響力を持っていたそれぞれの氏族たちの力も弱められていきました。




少し話が逸れたので戻します。


古代、海を渡る民の代表格は安曇氏でした。高度な渡航技術持ち、それこそ日本各地を縦横無尽に行き来して物流を担っていました。


安曇磯良という神がおられますが、安曇氏の信奉した神で、イソラとはシリウスのことです。

つまり、安曇はシリウスを信仰していました。






そして、阿波忌部も星を信仰していました。

それが天背男です。忌部氏の親神である天背男とは北極星のことだと、わたしは仮定しています。




「天子南面」という思想があります。







 AIと探索していた途中経過から↑

神社の多くが南向きに建てられているのも、この天子南面から来ているのでは?




安曇はシリウス、阿波忌部は北極星(と北斗七星)の信仰を持っていたのではないか。



そして、多氏と安曇氏は甕信仰を持っていました。




甕(ミカ)の信仰を一年ほど追っていましたが、多氏も星信仰をしていたとすると、謎だった甕(ミカ)の正体が見えてきます。


甕は星の力を転写し、宇宙の根源的なエネルギーを受ける器だったと思うのです。


忌部にとっては、これが布であり玉だったし、(後に神具は多岐にわたるようになる)物部にとっては石であり鉄(鏡や剣)でした。


海を駆け巡っていた古代氏族たちは星を読み、星を信仰し、星のエネルギーをダウンロードして大地に定着させるために、それぞれの依り代を用いていました。


依り代は違えど、欲したのは星の、宇宙のパワーだったのです。



この原理でいくと、星神天津甕星の正体も透けて見えてきます。



次は天津甕星のことについて語ろうと思います。