瑠香ですにっこり



沼間での七諏訪社を巡る小さな旅が終わったその日の夜でした。



Facebookを開いた途端、ひとつの投稿に目が止まりました。



それは知り合いの投稿でしたが、産土神社に関することでした。



その投稿では、産土神社を生まれた病院の近くの神社、もしくは生まれてから母親の実家で暫く過ごした場合は、その近く としていました。



このタイミングでこんな投稿が流れてくるなんて、気にならないわけがない凝視




そういえば、わたし、生まれた病院の近くの神社を調べたことがないのでは??




ずっと「産土神社=お腹の中にいた頃に母親が住んでいた家の近くの神社説」を採用していたので、そもそも病院の近くの神社を調べようという考えすらなかったのです。



思い込みって怖い驚き




さっそく検索してみることにしました。





わたしの出生病院は横須賀にあります。



Googleマップ上で見てみると…病院のすぐ隣に神社がありました。



なんと、その名も



諏訪大神社 笑い泣き笑い泣き笑い泣き




ぎゃー!!諏訪!!

七諏訪からの諏訪大神社!




しかも、驚いたことはそれだけではなかったのです。




実は病院の隣、諏訪大神社とは反対側の隣ですね、そこに良長院というお寺がありまして。



そこ、わたしの母方の先祖代々のお墓があるんです。



子供の頃は法事なんかあると親戚一同集まっていた思い出のあるお寺です。

お庭に池があって、鯉に餌をやるのが楽しみでした。


それから、閻魔大王が祀られてるいるお堂がある珍しいお寺でもあって、なんかそこの閻魔大王が好きだったんですよね。


妹や親戚の子は怖がっていたけど(笑)




その良長院、なんとはなしに調べてみたら…



良長院は伝えによりますと、開基は瀬尾重兵衛良長(よしなが)という人で、最初は泊浦(とまりうら)(米軍基地内)に建てられましたが、のち荒れはてたため天正期(1573~92)に現在のところに再建したといいます。

徳川家康が関東に入国のころ、駿河国富士郡にあった保寿寺(ほじゅじ)の菊長老(きくちょうろう)といわれた之源臨呼(しげんりんこ)和尚を招いて この寺の住職としましたが、和尚は富士山の見えるところを探して、沼間へ寺を移し、寺の名も改めて海宝院(かいほういん)としました。現在、逗子沼間にある長谷山海宝院がこれです。


(出典  上杉孝良著「横須賀こども風土記 上巻」)




沼間へ寺を移し、寺の名も改めて海宝院としました。




沼間へ寺を移し、寺の名も改めて海宝院としました。




沼間へ寺を移し、寺の名も改めて海宝院としました。






えーー??!!




海宝院ってーーー!!!






白山妙理大権現のお堂があった海宝院???






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