『手に魂を込めて、歩いてみれば』を自分の為に観てほしいと思う理由 | 山里リトリートねこ福 ✢✢ 時間が止まる龍宮城へようこそ ✢✢ 大阪高槻 神峰山の郷

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KYOTOGRAPHIEの期間中、特別に上映されていた『手に魂を込めて、歩いてみれば』のご紹介です。

 

自主上映が可能な作品なので、今後も近くで開催されることがあるかも。

ぜひ観てください。

 

 

'24年イスラエルが始めたガザ攻撃下、現地に留まり惨状を発信し続けた写真家ファトマ・ハッスーナさんを取材したキュメンタリーです。

 

若干20歳の女性と監督がスマホで対話した記録で構成されています。

監督も18歳でイランから亡命した女性です。

 

 

ガザのドキュメンタリー映画ポスター、フォトグラファーと監督

 

 

通話中に近隣に空爆があり噴煙があがる、先日友人が殺害された…そのような出来事が、ビデオ通話で語られます。

 

わたしたちの日用品であるスマホを通して。

 

「戦時下にある庶民の日常」をこれ以上リアルに捉える手法なんてないのではないかな。

 

 

ー ほら、さっきの衝撃はあそこにミサイルが落ちたからよ。

 

と、瓦礫の平原の少し先で立ち昇った煙にカメラを向けてくれる。

 

ー 怖くないことはないけど、慣れたわよ。これが日常なんだもん。

  次はうちの建物かもしれないといつも思ってる。

  でも、ここが私の家。他に行くところはないわ。

 

ー こんなに慎ましい暮らしをしているのに、あの人たちはそれさえも奪おうとする。

  多くのことは望んでない。それなのに食料でさえ手に入らなくなってきてる。

  お腹がすいたわ。。

 

再現映画ではない、戦渦にいる人の言葉。

 

 

前向きな姿勢を失わず、どうやって人間らしさを維持してるか、どんな希望を握りしめているのかを語ってくれます。

 

でもその隙間にすっと本音が滲み出るから、切実さが際立ちました。

 


 

空爆された場所へ翌日、カメラを手に向かう。

 

ー 道に出るのも怖いわよ。だけど、この戦争を撮って 世界に見てもらう必要がある。

  手に魂を込めて歩き出すの。

 

ー 他に誰がやる?撮り続けるために、わたしはここを離れない。

 

感情に飲み込まれず、今の自分にできることをやり続ける。

 

ファトマの写真1枚1枚は、それほどの意志によって遺され、「ガザの証」になりました。

 

 

 

 

ガザの壁のグラフィティと兵士のステンシルアート

これは’17年イスラエルを旅したときにパレスチナ側から撮った「壁」

 

 

 

いろんな角度から語ることができる映画だけど、今回は自分の為になるから観てほしいという視点で綴ってみます。

 

 

私は両親と歳が離れてるので、思春期に戦争を体験した話を聞かされ育ちました。

 

戦時中はこうだった、ああだった。

平和な時代に生まれて、あなたは幸せよ。

 

何においてもそう言って諭されました。

達観することを促されてたのだと思う。

 

 

けれど、実感のないことに感謝して、素直な気持ちを押し殺して暮らすというのは、我慢になる。

 

級友たちはあっけらかんと伸びやかに生きている。

 

そのギャップの埋め方がよく分からず、“申し訳ない気持ちで生きる”ことで手を打ってきました。でもなんか違う…。

 

 

戦時下とはどんな心境で暮らすのだろう。

戦時下の恐怖とはどんなものだったんだろう。

 

それを知れたら、親の言ってることも腑に落ちるのかもしれない。

 

戦渦の人間心理にはずっと関心を寄せてきたけれど、この映画のおかげでやっと得心するに至りました。

 

 

パレスチナの壁と鉄塔

'17 空港からエルサレムまで60km延々、高速道路は格子鉄線で覆われているーパレスチナ対策だとか

 

 

 

エンドロールは音楽の代わりに延々鳴り止まない爆撃機のプロペラ音。しつこい蠅のよう。

 

「B29が毎日のように飛んできてね…。」聞き飽きるほど聞いたあのセリフは、こういった状況から発せられた回想だったのだ。

 

恐怖も麻痺するし、希望は遠のいていく、命の重さもわからなくなっていきそう。

精神力を疲弊させないでいることがやっとだったに違いない。

 

 

「平和な時代に生まれて、あなたは幸せよ。」と言われ続けたのも仕方がない。

 

 

確かにこれが平和であり幸せという状況なんだと、今置かれた状況へのリアルな実感が湧いてきました。

 

 

 

パレスチナの街並みと車

'17パレスチナ(ヨルダン川西域)の街並み ~ 温泉街のようなレトロさ、懐かしさが

 

 

 

菩提寺の法話会で聴いたお話しを。

 

人は皆、今世での役割を生きている。

恵まれない境遇の人も、その役割を果たしているだけ。

恵まれた人に「これが不幸ですよ」と分からせる役割。

 

正反対のものを知ることで初めて、人は自分の状況が把握できる。

恵まれてる人に自覚を与えるために、不幸がどんなものかを見せてくれている。

 

気の毒ですねと憐れむのではなく、自分が幸運のもとに生を預かったことを悟ることで、その人たちの役割が浮かばれる。

 

と言うような内容だったかと。

 

そうですねとスッと飲み込める法話ではなかった。

 

けど、この映画を観せてもらって、わかった。

 

 

 

平和ボケした戦後世代には平和の意味がわからない。

 

どんなに恵まれているかも気が付けない。もっと…もっと。誰かよりも自分は足りない。

まだ満たされない、不幸だ。

 

日々パラパラ起きる‘思い通りにならないこと’なんて、取るに足らない。深刻になるのは愚か、不平を言うにも及びないということがわからない。

 

 

この映画を観たら、目から鱗が落ちると思う。

 

瑣末なことに目を向け、感情を消耗して、隣人にぶちまけ相手まで負のループに引き摺り込むことは「勝手に不幸を生み出してる」と気付けるはず。

 

 

戦争を好む社会構造を一朝一夕で変えることはできない。

 

だからこそ、不幸を見せてくれてる人の姿を真っ直ぐ受け取り、まず己を省みてみる。

 

本当の不幸がどんなものか、今ある環境がどれほどに恵まれているかを実感できれば、発想はおのずと変わってくる。

 

まず自分の身の回りに平和を。

 

 

恵まれた人が自分は満たされてないと主張する姿ほど虚しいものはないから。