昨日、今日の陽気で、山里の桜も一気に咲き初めました。
昨日の午前中はまだまだ固い蕾だったのに、びっくり。季節、急ピッチで動いでますねー。
昨日は、地元の懐かしい記録映像の上映会がありました。
昭和37年に撮影された8ミリ。
郷土文化研究家 宇都木秀甫氏が残されたものとのことでした。
ねこ福の山里は四方を山に囲まれた盆地なので、かつては集落内で一つの社会単位として機能してたようなんです。
暮らしに必要な様々な職業を各戸が専門的に担ってたらしい。ようしらんけど
郷土文化研究には格好の題材ですよね。
現在住者はそんな歴史を重く受け止める意識は希薄です。
今では大阪にも京都にも1時間以内で行けてしまうので、閉ざされた山里という感覚がない。
実際わたしは大阪ミナミに毎日通ってた
山里を “大都会へと開かれたド田舎” にしたのは、高槻駅へのアクセスを至便にした峠道の切通しだったようです。
バスが走りやすくなり、生活範囲が繁華街へと広がっていく。
高度成長の利便が流入してくる。
昭和37年の峠の開通工事は山里の大きな節目だったのだと思います。
ここね↓ 皆さんが来られるときに通過する「上の口」バス停付近のことです
開通当時はこんなだったようです。
でね、
この道の開通式の映像もあったのだけど、村全戸出席かなというくらい大勢の人が列席されての神事でした。
で、
その儀式に臨む方々のあり様に、じんわり涙が湧いてきたのです。
神事に向き合う姿勢というのか、感謝の念、自然への畏怖の念がこもった仕草・動作の一つ一つに真剣さが感じられて、心強く打たれたのでした。
Instagramで有名な神社を幾つかフォローしてて、諸行事をよく拝見してるのだけど、こんなにも必死な感じを受けることがない。
ごめんなさい、山を大きく切り崩してしまいましたが、どうぞ安全にお見守りください。
っとそんな思いが伝わってきた。
あぁ、ほんの65年前の日本人には自然に宿る精霊のようなものを信じる感性があったんだなぁって。
あの峠で事故らしいことが起きないのは、こんなにも真剣に開通に向き合ってくれた先代があってのことなのかもしれないなと。
若い頃は、何かひとつ便利になると、この便利さを当たり前とは思わずになかった頃のことを忘れずにいようと心掛けてたけど、
利便さが加速するにつれそんな感覚は皆無になってた。
そうやって現代人は利便性と置き換えに退化させてきた感性や能力がたくさんあるに違いない。
AIは時短、多角的視点を提供してくれるけど、同時に人間は思考力、発想力を退化させてる最中だよね。
歴史を振り返るとき、人はもっと謙虚になって考察すべきだろな。
古人は私たちより多くのものが見えていたし、感じれていたし、考えられていたはず。
そんなことを実感させてもらえた記録映像でした。
その他にも春祭りや催事の様子、寒天作りの作業なども観れました。
活気、熱気、手際の鮮やかさなど、なんか…今にはない輝きがありました。やぁー貴重な映像だったなぁ。
機会があれば皆さんにも観てもらいたいです。
↑「仮装行列大会」やって。ハロウィン先取りですやん





