文字を読むことが苦手なので本を読むのは嫌いです。
読むときは余ほど知りたいことがある時で、
そのテーマに関連しそうな本を図書館でまとめて借りてきます。
今年に入ってからは、珍しく月に2−3冊読んでいます。
読むのが遅いので、
読むものは厳選しなくちゃいけません。
借りる前によく検索して、
できるだけ切り口の違う何冊かに絞ります。
全く違った視点で書かれたものを読むことで、
多角的に捉えることができます。
そうすると、知りたい対象の輪郭が立体的に掴めてきます。
その分野で一般的に認知されている立場も察しがついてきます。
未知の分野を探索する時、
偏った情報はものの理解を遠ざける。
あらゆる方面からアプローチすることが本質への最短距離。
そう思っています。
今月の読書でも、それを再確認できた気がしています。
今月のテーマは千利休。
とうとう踏み込んでみたら、
意外とすんなり共鳴することができました。
『やっぱ、そうだよねぇ』
自分と重ねて、積年の胸のつっかえを洗い流してもらった場面も多数。
今でなきゃ得心できなかったであろう深遠な思想にも
すっと憶測が広がりました。
このチョイスから得られる情報ごとき
利休通からすれば耳かき1杯にも相当しないのかもしれないけれど、
いいんです。
私は、利休エッセンスをさっくりなぞることがでました。
10年ほど前、細川家(←元首相)所蔵品の展覧会で、
利休ゆかりの「茶入れ」に出会いました。
たぶんこれだったのかなぁ。
物体が纏っている空気(今風にはいうとオーラかな)に意識がいって、
壺の形の記憶がおぼろです。
その物体は輪郭の外側にまで固有の空気を纏っていて、
まるで壺を取り巻いて宇宙空間がそこにあるかのようでした。
宇宙空間を見たことはないけれど、そのように感じました。
その空気を深く記憶に刻んでおかなければと、
会場を出るまでに5回ほどその壺の前に舞い戻ったと思います。
形あるものに、実体のない空間に像を結ばせているものが、
その造形のせいなのか、
何人もの戦国武将の手を渡り染み込んだ想念なのか。
…よくわからんがとにかく利休の持ち物すごい、
茶の湯って底知れない世界だと感じました。
今回、千利休の世界を訪ねてみて、
あの「茶入れ」のことが合点がいった気がしました。
利休が茶の席で創り上げていたのは、やっぱり、
宇宙空間を体感できる時空間。
そこに身を置けば、
世のことわりが腑に落ちる。
さすれば、
我が身の処遇が自然と見えてくる。
「利休にたずねよ」と、
戦国武将たちから師と仰がれ、
天下人から重用されたゆえんにも得心がいきました。
包括した視点、俯瞰した視点、
その究極って宇宙的視点なんだと思う。
地上で宇宙空間を造形した利休その人はまた、
そういう視点を体得していた人なんでしょうね。
その所作に無駄はなく、
言葉に不備なく、
策はシンプルにして2歩3歩先の展開を見通していたといいます。
そして、その世界に文字を通して触れているだけでも、
清々しくも、凛とした気持ちになれました。
やはりおそるべし千利休。

