演じるひとたち | Art of Life | Salima Yuuka

Art of Life | Salima Yuuka

『 Art of Life 』
— 生きることはアート、小さな詩を編んでゆくこと —

キャンドルデザイナー
調香師 アロマセラピスト
書家 灯火器作家

 

 

「演技」というと、「嘘」や「作りごと」として連想しがちだけど、歌や踊りと同様、原始的でシャーマニックなことなんじゃないかと、最近思うようになった。

「演劇」の起源を遡れば、神事や宗教的儀式として始まり、そこから発展してきたもののようだし。

演技って、外側に向けてなにかアクションしているように見えて、実は、役が自分を通して現れ出るのを許すことのような。

憑依タイプと呼ばれる一部の俳優は、シャーマンのように、役の人物を迎え入れ、通路となって表現させることで、昇華させている。

演じることは、内側深くに潜る行為でもあり、カタルシスとして解放するワークのようでもある。

「自分はこういう人間」と、身動き取れないほどに固めてしまった殻や壁を、自分じゃない役を借りることで打ち破り、固まって呼吸が通っていなかった場所に息を通す。
意識を広げさせる。息を引き返す。

そうなると「演技=作りもの」じゃなくなって、自我を超え、解放するツールにもなる。

それは、瞑想やセラピーが連れていく場所と似てる。

演者にそれが起こった時、見ている観客にも同じことが伝播し、波及する。
(それができる人を名優と言うのかな)

やはり演技はシャーマニックなワークなのだと思える。
単に台詞を暗記して演じるのじゃない。
シャーマンが精霊たちを呼び入れるように、ひとつの魂を宿し、そのひとを生きる。

俳優の渡辺謙が、山崎努から学んだことをこう話していた。
「俳優っていうのは、自由になるためにやる」ことだと。

演じることで何が起こるのか。

「私」という自己を保ったままでは役になれない。
一旦、自我を脇に置かなければ、出来ないことだろう。

そういうのはもう、「偽物」や「嘘」とは呼べなくて。。

役者たちはそんなことをしていたのかと。
単なるエンタメとしてストーリーを追うだけじゃなくなって、映画や芝居を見る目も変わった。

過去に観てきた映画をもう一度観直したくなって、いまゴッドファーザーを見返してるところ。

アル・パチーノもいいけれど、マーロン・ブランドはやっぱり凄いよね。

 

 

 

 

 

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