大学時代、ファッション誌の発売日になると
まったく同じ雑誌を、
たくさんの女の子達が広げているのを
広い講堂の後ろから冷めた目で眺めていた私


「時間もお金も美容になんてかけてらんないわ
ふん
」
という気持ちは、これよりももっと前
高校時代から始まっていました
櫻井家は貧乏でしたが
3人の子宝にも恵まれて


幼い頃両親はとても仲がよく
夏休みには毎年、家族旅行
も
連れて行ってもらっていました

どこへ行くにも父親の会社の車で

父は2トントラックで配達や
集金をする仕事をしていて

その3人乗りのトラックに
家族5人ぎゅうぎゅう詰め





お巡りさんを見つけると
すばしっこい私が足下に隠れる役でした

外食するお金はないので
いつも母が握ったおむすび🍙を
持って出掛けていました
幼い頃でさえ、やりくりに必死だった我が家
それは子供が大きくなるにつれて
ますます顕著になります

習い事はできない
ほしいものは手に入らない
おこずかいなんて存在しない
そんな中でも夢を叶えたい
それにはお金が必要でした
私と違って優秀だった姉は
高校からして進学校に行きたいと
親に泣いて頼んでいましたが、それも叶わず

泣く泣く地元の高校に行きました

それでもめげず

常に成績はトップを走り抜け

幼稚園から大学院まである
私立のお嬢様女子大学に合格しました


それでも
『女のくせに四年は行かさん!短大でいい』
という父親に対し、
やる気も学力もあるのに可哀想だと
一念発起した母が働きに出ました
おとなしくて人見知りな母
内職に精を出していましたが
年間100万円する大学となると
内職ではラチがあきません
家から出たこともない主婦が
いきなりゴルフ場のキャディーになりました

すっげ~
げっそりと痩せて
半分くらいになった母を見て
みんなが癌だ癌だと心配しましたが

今も元気に働いています

学費の半分は奨学金で借りること
学費以外の寮費、生活費はすべて
自分でアルバイトをして賄うことで
姉の大学行きは叶いました

そんな姉を見ていた私も
高校時代から準備を開始しました

私に許された大学進学の道はただ一つ
実家の隣町にある医療福祉系の大学だけでした
私をいつまでもそばにおいて
将来は面倒をみてほしい。
そう願う母の気持ちの現れだったのでしょう。
私は中学卒業が決まると
15歳の誕生日を待てずに働き出しました

早朝の新聞配達から放課後の八百屋さん、
深夜のレストランに至るまで

姉と私は年が2つしか変わらないので
2年間は学費が重なることになり
さらに4つ下にはまだ弟がいます
しかも文系の姉と違い、
医療系に進んだ私の学費は姉より
年間50万円も高かったのです



さらに
Σ(・ω・ノ)ノ
田舎の実家からもっと田舎の
隣町に行く交通機関はなく
私はその大学に合格しても
車がなければ通うことができません
車だけあっても免許がなければ乗れませんから
自動車学校の30万円をまずためなければなりませんでした
その頃からですね、きっと
美への敵対心が芽生えたのは…



だって、関心がない訳がない

中学生の時は髪型を気にして
毎朝時間をかけていましたし、
恋愛も楽しんでいました

まぁ、失恋したけど

女子高生ともなれば皆トイレで
お化粧
していたのに
私は一度もしたことなかったし


高校の3年間、彼氏もいませんでした~


でもそのおかげで無事に大学に行けて、
今の幸せがあるんですよね

だからね![]()
ブロックも必要だからブロックするってことなんですよ

ほんと、あなたの体は間違えませんから
いらなくなったら、
はずせばいいだけのことなんですよね
その時はそのブロックが必要だったということを
どうか忘れないでいてあげてくださいね

【関連記事】
美やトキメキへの道をブロックすることで
私を守り、ここへつれてきてくれた
このからだに
感謝します

つづく








