待つ    育てたように子は育つ”より



待ってもむだな

ことがある



待ってもダメな

こともある



待って むなしき

ことばかり




それでも わたしは

じっと待つ



       ・・・あいだ みつを・・・



子どもに限らず草花でも農作物でも 何でも育てることが上手な人は

待つことが上手な人だと思う

待っていることに喜びや楽しみを感じていられる人である


しかし待つことの喜びは 日常の努力と相関する

最善を尽くしているという実感があれば 待つことの楽しみは

最大になるだろう

そして 結果を問わない気持ちができていれば 待つことは

安らぎでもある

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先の結果よりも努力の「今」に共感してやりたい

休息の「現在」であれば その現在を 静かに見守っていてやりたい

休息が終わって活動を再開するのを いつまでも待っていてやりたい

はた目には 待っていてやったことが無駄だったように見えても

かけがえのない親子のような関係の者にとっては苦楽を分かち合った者にしかわからない存在の 重みの感触が必ず残る

だから じっと待っていてやりたい

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「育てる」ということは

そうしたことの積み重ねである

子どものために そういう日々の営みの連続に ひそかな誇りのある

喜びを感じ続けていてやりたいと思う

子どもの中の自立性や自律性は

待っていてやるからこそ 育つ





あいだみつをさんの書を通して 感じた

今の私に  いや

ずーっと以前からの 私に突き刺さるような言葉でした

子育ては

すぐに 形となって見えない

だから 形となって やったことがすぐ見えるようなことがしたい と思ってた私

ですが  気短な私は  失敗してしまったようだ、、、今までに 

待つという育て方


子どもが

相手が

他人が

動くような 動き出してくれるような 言葉がけひとつできず

いらいらするなら 自分でやったほうが、、、と思ったり

早く早くと せかしたり

育てることに  

「待つ」ということが じっくりとは できなかったのだ


だから

行き詰ってる今

待ってみる

自分の中の もうひとりの自分と

日々葛藤しながら、、、



丁度いいことに

野菜も一緒に 育つことを

ゆっくりじっくり世話しながら

待つとしよう








あの子は

今  休息の時期?