おはようございます。
心屋リセットカウンセラーのさきです。
うまくいっていて、
なんだか幸せ感じる毎日を
過ごしていたり、
仲間と楽しい時間を
過ごしているとき、
その場になんだか
「不安そうな人」が
「楽しくなさそうな人」が
いると、
私も楽しそうにしながらも
その不安そうな人に
心の中で気を取られます。
目で追いかけます。
「どうしたんだろう?」
「楽しくないのかな?」
「私はどういうふるまいを
したらいいのだろう」
「私が相手の気に障ること、
しちゃったのかな?」
これね、
私、たまに
あるんですよね。
気にしたところで
いつもどうにかできる
わけでもないんだけど。
気になって仕方ない。
けど何もできない。
「楽しそうにしていては
いけないんじゃないか?」
「私の幸せ、楽しさが
誰かの
悲しみになってないか??」
って気になったりするんですよね。
ずいぶん
色々気にして、
考えて、
これも幸せであることへの
罪悪感かしら?
と思いつつ。
こんな考えに
たどりつきました。
私なりの解釈ですが、
これね、
悲しみいっぱいで
悔しさいっぱいで
腹ただしさいっぱいで
幸せそうなあの人を
見ていた
「あのときの私自身」
を
勝手にその
「楽しくなさそうな人」
に投影しているだけ
なんじゃないかって
思います。
もちろん、
「その楽しくなさそうな人」
は
本当に
気分がすぐれないかも
しれない。
私の言動を
気にしているのかもしれない。
だけど、
その人に気を取られたのは
自分自身なんだよね。
あえて
その人を
自分の目の届くところに
置いたのは自分。
その人を
目で追いかけたのは
自分。
つまりね
その人が
本当は
どういう気持ちなのか
ということは
は本当は関係なくて
「今の幸せな私が
過去の悲しみいっぱいの
自分自身に嫌われたく
ない」
っていう気持ちが
そこにあるんだよね。
だからね、
いいんだよ。
遠慮しなくても。
幸せであることにね。
嫌われても
いいんだよ。
あのときの自分に。
そう、
今、思い出した。
マスターコース最終日に
でできた
自分へのメッセージは
「思い切ってやりたいこと
やっていいよ。
私の笑顔は
周りを幸せにするんだから」
でした。
そうなのだ。
遠慮するな。
私の幸せ
を阻害するのは
私だけなのかもしれない。
