わたしのこと 

わたしの過去のこと

記憶をたどって、簡単に。

でも長いです。

お時間ある方、どうぞ

お付き合いくださいませ。

 

今、思いつくまま、書けることを。

つらつらと。

 

 

 

0歳  

    大阪南部の海が家から見え

    るような田舎の町で

    自営業の父、専業主婦で

    教育熱心な母、

    おばあちゃん(父の母)、

    二つ年上の姉がいる

    五人家族の

    次女として生まれる。 

    予定日より2ケ月も早く

    1440gという未熟児。

 

2歳~3歳

    母が、いつまでたっても、

    歩かない私を不審に

    思い、病院へ。 

    左足に

    軽度の脳性麻痺性運動障害

    ありとの診断。

    左足を引きずるような歩き方

    だったそう。

    姉とともに水泳を習い始める。

    

    心雑音もあるため

    検査の結果

    肺動脈弁狭窄症と診断。

    これは日常生活に支障なし。

       

4歳~5歳

    できるだけ

    歩きやすくするために

    左足のアキレス腱延長手術。

    その後、

    リハビリのため

    大阪市内の病院へ

    母とともに通院しながら

    幼稚園へ通う。

    

    このころの記憶はほとんど

    病院でのことばかり。

    このころから

    ぽっちゃりしており、

    すでにこのことに

    コンプレックスを持っている。

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6歳~10歳

    小学校入学

    みんなと同じように

    早く走れないし、

    ジャングルジム

    や鉄棒、跳び箱など

    みんなが

    楽しそうにしてること

    を楽しめない。

    みんなと同じように

    できない自分が歯がゆく

    恥ずかしく思っていた。

    また、ひどく 

    からかわれたことも

    あったため、

    人前で身体を動かす

    ことが本当に苦手だった。

    遠足、運動会、

    体育の時間が大嫌い。

    反面

    それ以外の

    いわゆる「勉強」の時間は

    好きで、楽しんでいた。

    学校外では

    姉と同じ習い事をしていた。

    ピアノ、そろばん、水泳。

    水泳は苦手だったが、

    習っていたおかげで

    唯一、

    『人並みにできる「運動」だ』

    と思っていた。

 

10~12歳

    姉が通い始めていた塾に

    自分も通い始める。 

    さらに「勉強」が楽しくなる。

    学校とは違った

    友達もできるし

    楽しかった。

 

12歳 

    姉がそうだったから

    なんの違和感もなく

    同じ大阪市内の

    私立女子中を中学受験。

    姉は特進コースという

    国公立大受験を目指した

    クラスにいたが、

    姉の

    「賢い子が多いから

    勉強けっこうついていくの

    しんどいで」の

    助言で

    標準クラスを選択。

    その後、2年生より編成される

    準特進クラスに入る。

 

13~15歳

    相変わらず、 

    体育やスポーツテストなど

    自分の劣等感を刺激される

    時間は嫌いだったし、

    なぜ自分はみんなと同じ

    ではなく、

    この身体で

    生まれてきたのだろうと

    悶々と考えていた。

    また母に対する反抗も

    このころから

    ひどくなっていった。

 

    座学が好きだったからか、

    それとも、

    毎日コツコツと勉強している

    姉と

    同じ部屋にいて、

    それが当たり前だったからか

    成績は良かった。

    「運動」ができない分

    「勉強」で本領発揮するぞ!

    と思っていたかもしれない。

 

    クラブは、音楽が好きだったから

    吹奏楽部に入ろうとしたが

    重い楽器をもって

    階段を駆け足で

    上り下りする上級生をみて

    やっぱり

    「コケたり、迷惑かけたり、

    怒られたりしそう」とか

    「上下関係が厳しそう」

    と思って、

    「食物部」という名の気楽に

    お菓子作りができそうな

    クラブに入った。

 

16歳 

    初めて海外に行く。

    学校から連れて行ってもらえる

    ホームステイと

    語学研修に参加。

    カナダに約3週間滞在。

    身振り手振りと気持ちで

    ある程度意思疎通ができると

    思った気もするが

    あのとき、海外で初めて見た

    ハリソンフォード主演の映画は

    何を言ってるのか

    半分もわからなかった

    気もする。

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        右側が私。このころ急に背が伸び

     人生でもっとも痩せていた時期

17~18歳

    周りも勉強を

    本気でしだすようになると

    なかなか順位が

    思うように出せなくなり、

    だんだん、

    日々のテストや大学受験への

    プレッシャーで過食気味に。

    自分がやりたいこと

    が何なのか考え始めるが

    一向に答えが見つからない。

    料理が好きだったので

    料理の専門学校

    に行きたいと思うが、

    大学受験コースにいたし、

    おじいちゃん(母の父)に

    「大学は出なさい」と言われ、

    大学に行ってから

    決めようかと

    とりあえず、

    得意な文系の科目で

    お姉ちゃんが行った

    大学と似たような偏差値の

    大学を目指す。

    

    

19歳

    何とか、志望の大学

    に入学。

    一人暮らしを始める。

    さあ勉強ばかりの

    日々を抜けて

    遊べるぞ!と思っていたし、

    実際、旅行サークルに入り、

    友人と学生生活を謳歌。

    彼氏はいない。

 

21歳

    父の会社の経営が悪化

    両親の離婚

    母の自殺未遂&入院

    

    母の実家で

    姉と

    先の見えない二人暮らし

    母の退院、私自身の鬱。

 

22歳 

    就職氷河期。

    4回生の3月ぎりぎりで内定

    業界最大手の生命保険会社で

    営業の仕事につく。

    父の会社倒産 

23歳 

    生命保険会社退社

    

24歳 

    社員数100名前後の

    食品会社に入社 

    営業事務の仕事をする。

    

27歳

    人生初 

    10kg近いダイエットに成功。

    

29歳 

    徐々にすこーしずつ

    リバウンドし始める(笑)

    夫と出会う。 

    東京と京都で、遠距離恋愛。

31歳

    結婚

32歳

    心屋に出会う

33歳

    10年目で食品会社を退社

34歳

    心屋マスターコースに通う。

35歳

    現在