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不快な内容ありましたら、途中で読むのはおやめください。



今回も少し思い出話含みます。

先日、10年目の東日本大震災3月11日でした。

当時、『某コンビニL』で出戻り店長やってました。

14時46分。

揺れた時は店のレジにいて、『あ、地震だ』

『震度4くらいかな』

と思ったのですが、何故か直感的に

『美華のところ』と思いました。

(ワインや酒が倒れないか心配しろよ、ですが)


それから数分後に、オーナーから電話がきて、

『店、大丈夫か?ケガしてないか?』

『震度7だ、岩手、宮城が震源だな。』

『なんかわかったら連絡する』

と話しました。


ちょっと『震度7は凄いな』とゾッとしました。

その頃は美華とは連絡取らなくなって数年経ってましたが、メールしてみましたが、反応はなかったので、逆に心配になりました。

でも、3日後くらいに、返事来まして無事を確認出来ました。

こういう時(非常時)、コンビニは商品があるわけで。

『何かいるものあれば送るよ?』

と言ったけど、丁重に断られました。

それはそうですよね。

もし送っても家族に『これ、誰から?』と

聞かれるわけで。

この時、

『あぁ、俺は美華の為に何もしてあげられないんだな』

と悟って、その後はメールをするのは止めました。


さて。店の方でも色々と。

その翌日くらいから水やカップ麺のまとめ買いが

見受けられました。

また、数日後には隣県ということもあり、

避難されてこられた方達が買い物にきました。

ただ…『割り箸いっぱい付けて』とか、

『袋をたくさん』とか言われまして。

一応、断った(購入数の分だけで、と伝えた)のですが、

『福島から来ているんです‼️』と言われて、

多めに付けましたが、

あの時、

『おそらく周りで買い占めて、いたんだろうけど。気持ちわかるけど、もう少し言い方なぁ。』

と思った自分は優しくないんでしょうね。


また、ウチの店の2件隣に、産まれた時から知っている双子の男の子がいて。

男の子といっても当時既に20歳過ぎて、

ガテン系の仕事をしていましたが、

二人とも会社の請け負いで、津波後の遺体回収に行ってきた、と話してくれました。

普段、俺のことを『おぃ、オヤジ』と呼ぶ奴らが

『ねぇ、saiさん……津波跡地は地獄絵図だったよ。遺体がいっぱいで、もう行きたくない』

と言われて、

『大変だったな。みんなに代わって礼言うわ。ありがとな』

とラオウみたいな二人が愛おしかったです。


最後に大ちゃんの話。

『11日、黙祷したの?』と聞いたら

『学校でやったけど、1.2年生がいる時間で、ってことで、14時にみんなでやったよ』

とのことで…

まぁ、念いがあれば、何時でもいいんでしょうけど。

というのが現在の大ちゃん。

2011年の時は2歳半か。

嫁さんに聞いたらよく覚えてまして。

『あの日、雪降っていて。大ちゃんがカルピス欲しがって飲ませようとしていたら、地震がきて。大ちゃんギャンギャン泣くから地震が怖かったのかと思ったら、カルピスが飲ませてもらえなくて泣いていたんだよ……(笑)』

と話してました。

2歳半でカルピス?とも思ったけど、嫁さんが言うなら間違ってないんでしょう。


何にしても。

私は個人的にいつも思いますが。

被災地の方の大変さは本当に被災された方にしかわからない、と思っております。

ニュースや報道で流されない限り、また、自分から情報を求めない限り、それも断片的に。

本当に今でも不自由されてる方も多いかと思いますが、

負けずに生きていっていただきたいと思います。

私には何も出来ませんが、『念い』だけは忘れずにいたい、と思います。