前回の記事で、今までを振り返ってみて
私は何回生きたんだろうとしみじみ思った。
どう考えても、ひとりの人生がやる仕事じゃない
テーマが多すぎる
でも、行き着く先は
世界中の子どもたちの笑顔であることだけは
いつも変わりない
なぜ私はベトナムへ?その⑤からの続き
初めての方は最初からどうぞ↓
それは、昔
世界中の子どもたちが苦しんでいる表情の映像が
それはそれはたくさんフラッシュバックして
私は何かをしなければならない!
そう思ったところからがはじまりだった。
今から12年前かな?
ああ、それも10月のこと。
『宇宙から思ったことが100倍?(忘れた)叶うエネルギーが降り注いで、それが今後何年間か続く。そのはじまりが、2006年10月17日だ』という話を聞いて、その日福岡にある山笠で有名な櫛田神社にお参りにいったんです。
だいぶ端折ってるけど、実はそれまでも不思議なことはあったんです。
ヘンゼルとグレーテルのパン屑の話をたまにするけど、私はその頃から「こっちだよ!」っていうヒントが誰からか分からないけど置かれることがたびたびあるようになった。
その時もそう。
私のスケジュール帳にはなぜか、何週間も前から10月17日に○印がつけられていたんです。
で、話すと長くなるのでまた端折ると
2006年10月17日
櫛田神社に行った私でしたが、神社の本殿は改装中
さて、どこでお参りをしようかと見渡すと、そこに大きなイチョウの木
とりあえず、一緒に行った人とイチョウの木の前で手を合わせました。
そのときに、地面からどわーっと何かが私の中を通って天に抜けて、そして、手を合わせて目をつぶったままの私の瞼の裏に、世界中の子どもたちが苦しんでいるスライドがパタパタとものすごい勢いで捲られていく映像が見えました。
こんなやつで投影されたイメージ
涙が出て止まらず、
おかしなことに、そこに一緒にいた人までも
その映像は見ていないらしいのだけど
涙が出て止まらない!と騒ぎはじめて
あれは、本当に不思議な出来事でした。
それから私は、あの子達をどうやったら救えるのか
そればかりを考えて過ごしていました。
だって、あまりにも鮮明で、
あまりにも辛すぎる映像だったのです。
【戦争 子ども】などで、画像検索すると出てくるような、そんな見るに耐えない辛い映像。
瞼から、脳裏から、
今でも離れることはありません。
そして、考えに考え抜いたある日
頭の中に声が聞こえた気がした。
「目の前のことを一生懸命にやっていれば、いつかそこにたどり着くよ」という声。
分からないけど、先のことや出来ないことを考えるのはやめて、目の前のことだけを一生懸命やっていこう。
そう決意して、一歩進むことができました。
だから、目の前に来る意味のわからない新しいチャレンジも、すべて引き受けるという決意をして、
でも、本当にそれでいいのか?と、何度も何度も疑いながらも苦しんで、前に進んできて。
で、月日が経って分かるのは、
それで正しかったんだ
それが必要で必然だったんだ
それをやらないとここにはたどり着かなかったんだ
意味のあることしかやってこない
だけど、その時には見えないことが多い
そんなことでした。
だから、私はいつでも
新しいミッションがやってくるたびに
何度も生まれ変わって
その度に人が変わったようになって
でも、家族の中では変わらずに(ここが不思議)
私らしさや人間味はいつも失わないのだけど、
スイッチが入って表現することは
何かが乗り移ったように変わる
私自身は、自分がハリケーンのようになって周りをなぎ倒していくことを好んではないし、できることならやりたくない。
でも、世界が変わる時にはたくさんの人が飛ばされていく。
実際、この10ヶ月は、本当に人が消えて入れ替わって行った。でも、それすらも、今に始まったことでもなくて。
そして、いつもひとりぼっちにはならない。
私でいて、私じゃない。
でも、それすらも私が望んだこと。
大きなことを実現するために、私を自由に動かしてくださいと神様にお願いしたし、そのために家族や仲間の健康と幸せを約束してもらったし、私が欲しいものはその過程で自然と私の元へ届けてくれるというサービスも実現している。
あー、書いてみてはじめて気がついた
そうだったなぁ、何を寂しくおもってたんだと
私を仕事に使ってもらいさえすれば、望むものはなんでも手に入るんだったじゃん!
やることやってたら、わがままに欲張りになって良かったじゃん!
不思議な話と自分のひとり言と
とりとめもないのでまた次の7話に続く


