テーマは「心の仕組みが壊れる時」「疲れが溜まらない理由」。
5時間に及ぶ講習、そして終了してからも1時間ほどの補講で、理解したと思っていることはありますが、なにぶんカメよりのろい頭。理解したと思っていても、なんどもなんども整理しなおしてつながるかを確認しないと、実は「理解したと思っているだけ」ってこともあります。
いつか、頭を初期化することができれば、きっと今よりは理解できるようになるとは思うのですが、私の頭には余計なものが入っているように思います。講義の中で、常識という言葉が出てきました。
このところ「常識」について考えることが多く、
あっ!と思ってしばし「常識」とは何かということを考えました。
常識とは、辞書では「一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力。」とされていて、多くの方もこういった理解をしているはずです。
ざっくり言うと、「常識とはたいていの人がそう認識していること・そう思っていること」であり、良いも悪いも、合ってるも合ってないも、ないということですね。
もっと簡単にいうと「みんなやってる」という感じでしょうか。
小さな子が、お母さんに「あのおもちゃ買って~~、みんなもっているもん!!」とダダをこねるのも、そのおもちゃをもっているのはその子の社会では常識。だからそれに倣いたいということなんでしょうね。
常識は社会の中で生きるのに、便利なものです。
私の住む町では路上タバコをする人はいません。それは条例でもありますが常識でもあります。
日本では人がいるところでゲップをする人は少ないです。「はしたないこと」として教わったからです。イギリスでは平気でみんなやっていました。鼻をかむことも同じです。
常識は、国によってもかわるし、時代によってもかわります。以前は電車の中だってタバコ吸えましたよね。
ちょっと話しがそれますが、私はいずれ「飲む人専用車両」みたいなのが電車にできると思います。新幹線って夜だけじゃなくて朝にも「ぷしゅー♪」ってしたい人、いるじゃないですか。飲まない人にはめちゃくちゃ迷惑。喫煙と同じような道をたどるのではないかと思っています。
ま、未来の勝手な予想はここまでにして、常識に話しを戻しましょう。
確かに便利で「常識」がないと、社会は秩序を失って混乱してしまうでしょう。
でも一方で、「常識」は、人から判断の機会を失ってしまうという側面も持っているな、と最近思うようになりました。
「みんながこうしている。
みんながこう考えている。
だからそれは合っているだろう。」
と自動的に思ってしまうからです。
自動思考で常識にゆだねても問題ないトピックスが圧倒的ですし、ありとあらゆる常識を疑ってかかり、ひとつずつ検証しなおしていくなんて、どんなに時間があっても足りません。
だけど、常識が決して正しいものでも合っているものでもなく、「今、日本の大勢の人がこう考えているだけ」というスタンスは持っていないと、いざ、家族の健康とか大きなことに関わる判断をするとき「常識だから」とそれに従うと、自分ではなく日本の大勢の意見に判断を任せることになってしまいます。
もしそのことで、大きな判断ミスがあったとしたら、、、誰も責任も取れないし、修正だってできないのです。
常識が間違っているというわけではなく、ただの「みんなの意見」のようなもので、便利で普段はありがたく普通に倣っているけれど、大切なときには自分の判断をしよう!と思うのでした。
そしてそのときに、理にかなった判断をしたい。だから今、学びたいと思うのです。