バックミュージックのようにテレビを聴いていました。
映っていたのは、農家さんか、山のお仕事をしている人。
ニュースのインタビューとかではなく、
その人の生き方や哲学に迫るミニ特集のような感じ。
ふと、聞こえてきた言葉に反応し、
あわてて、スマフォを探し、その方のセリフをメモメモ。
どういうシチュエーションか、
細かいところまではまったくわからないのですが、
その方は、概ねこんなことをおっしゃっていました。
「山はあるがまま。
うまいとか、まずいは、人間が決めている。
野にあるものは、そのあるがままに生きている。」
なぜ、メモをしたのかというと……
去年まで、私は有機野菜の仕事をしていて、
「大きくて色が濃くて、味がしっかりしているものイコール、元気野菜、イコール体にいい」
という刷り込みがありました。
ちょっと勉強すると、「あまりに大きかったり色が濃すぎるのは肥料のやりすぎ」という知識が身についたりしたのですが、やっぱりどこかで、
大きい、色が濃い、味が濃い、イコール元気、体にもいい
と信じていました。
でも、この方の言うとおりなんですね。
大きいとか濃い味は、「人の好みや味覚、流通のしやすさ」などという「その時代の、人の価値感」が反映したもの。
野に生きる野草には、そんなことは関係なく、彼らは「あるがまま」。
自然の恵みってなに?と考えると、
「あるがまま」のものなんですよね。だって「自然」の「恵み」なんだから。
私たちの味覚は、
小さい頃からの教育と、慣れた味、個人の好き・嫌いによって「美味しい・美味しくない」を動物としての嗅覚だけではなく、気付かないうちに頭でも判断するようになっています。
だから、クリスピーなポテトは美味しいし、カップラーメンも美味しい。
人が、決めているんですね。
これは美味しいって。
あるがままに育ったキクイモ。
昨日は、醤油とおろしにんにくに漬けて素揚げに。
樽でビールがあっても足りないくらいの、よいおつまみになりました。

