今日は新地亜紀さんのSASをモニターで受けました。
1時間半という時間の中で、自分のトラウマになっている事を掘り下げてそれを取り除いてもらい、アファメーションするという内容。
自分の潜在意識の深いところまで踏み込んでいく、という作業は九星気学を勉強し始めてからやっていたことなのですが、心の奥底で避けている自分がいました。
亜紀さんにせっかくこんな機会を与えていただいたのに、ずっと蓋をしていたことを「過去にあったこんなことやあんなこと言うのって苦手なんだけどな」とか「自分の弱いところを晒すのって嫌だなぁ」とかいう思いがあって、なかなか素直になれない自分がいましたが、亜紀さんの「もっと出して、もっと出して」の誘導で、「こんなこと、辛かった」とか「あんなことも寂しくて嫌だった」などなど…次々と言えました。
私のトラウマの根本は母との関係でした。
私の「こうなりたい」「あんなこともしたい」という気持ちを徹底的に否定したり禁じるような人でした。
私がこれは嫌なことだからと言っても強制されたり、他にやりたいことが見つかっても「そっちがあるのにやらせる訳にはいかない」と諦めさせられました。
そして兄と、そして私の友人たちや周りの人たちと常に比較しては「あの子はああなのに、なんであんたは…」と言う人でした。
そのくせ、記録を出したり賞をもらったり学校の成績が上がっても、「当たり前でしょ」と言われ褒めてもらったこともありません。
母との関係が決定的になったのは進路のことででした。
私は自分を表現するのに高校へ行っても続けたい、ということがありました。
そのことをやっている自分が大好きで毎日学校に通っていた、というくらい打ち込んでいました。
母にも認めてもらいたくて何度もコンクールに見に来て、とお願いしましたが、卒業までに「仕事があるから絶対に行かれない」と来てもらうことは1度としてありませんでした。
頑張った甲斐があり、打ち込むのに最適な環境の整った高校の講師の方からコンクール後に「うちの高校においで、一緒にやって行こう!」と声をかけてもらえたんです。
中3の進路の最終決定を出す際に家族会議をしました。
私には3歳上の兄がいます。
当然、受験が重なる訳です。
私は私立だけど自分のやりたいことを続けるために環境の整った高校に進学したい、と話しました。
母は「何言ってんの?お兄ちゃんは学校の先生になるために大学へ行かなきゃならないんだから、あんたには近所のお金のかからない公立高校に行ってもらわなきゃ困る。」と…。
そして両親が提示した学校は私のやりたいことが部活としてない学校だったのです。
兄は、というと、大学受験の勉強をしている振りをして机に伏して寝ていたり、親が寝たことを確認してから友達の所に麻雀しに行く、ということをほぼ毎晩していました。
諦め切れない私に母はこう言いました。
ならば、最終決定をする試験で今の順位から50番上げたらその高校に行かせてあげる、兄は共通一次(今のセンター試験みたいなもの)で国公立大学に行けるだけの成績を出せなかったら大学には行かせない、浪人もさせない、就職してもらう、と。
私は年末年始関係なく参考書や教科書を真っ黒にするくらい勉強しました。
兄は相変わらず毎晩麻雀通い。
そして最終決定の試験で私は50番どころか学年でトップ10に入る成績を出すことができたんです。
それでも母は「頑張ったね」の一言も言ってくれませんでした。
一方の兄はというと、とてもではないけれど国公立大学の教育学部のある大学はどこにもひっかからない、という成績に終わりました。
そりゃそうです、受験勉強なんてしてないんですから。
なのに母は「お兄ちゃん、残念だったね」と慰めていました。
そんな状況でも約束通り、私は自分の望んでいた高校に晴れて入学ができ、兄は就職するんだなぁ、と思っていました。
しかし、母はこう言ったのです。
お兄ちゃんは大学に行かせなきゃいけないから私立の大学に行かせる。あんたにはやっぱり希望の高校には行かせられない、と。
目の前が真っ暗になりました。
約束を守ってもらえなかったこと、何が何でも何の努力もしなかった兄は報われて、年末もお正月もTVなんて一切観ず自分の部屋とトイレとお風呂の往復だけで必死に努力をして約束通り成績を上げた私は報われないんだ、と。
泣き叫んで抵抗していたらもしかしたら違っていたかもしれないけれど、あまりのショックにただただぼう然してなんの言葉も出ませんでした。
母の言葉を聞いた時の父と兄の顔は未だに忘れられません。
「どうだ、参ったか。俺は両親に愛されてるからずるしたって何したって優先されちゃうんだぜ!」
見下された瞬間でした。
15歳にして「ここには私を認めてくれる人は誰もいない、ここには私を守ってくれる人は誰もいない、家族なのに私はこの人たちに愛されてすらいない」と悟ったんです。
「それなのになんで私なんかを産んだんだろう…お兄ちゃんだけが大事なら、あなたたちの子供はお兄ちゃんだけで良かったんじゃないの?」これは今でも納得のいかない案件です。
そして4月、兄は母と二人東京の大学の入学式に行きました。
私は行きたくもない学校の制服に身を包み一人で入学式に参加しました。
そしてその学校には私のやりたい部活はあったけれど、希望していた高校とはレベルが違うしそこの高校でやるから意味があるので、入った高校では母の大嫌いな運動系の部活に入部しました。
そこそこ走るのが早かった私は3年間インターハイや国体で県代表として出場しましたが、親には出発する前の日まで話さなかったし、賞状をトロフィーやメダルをもらってきても、褒めてくれないことを知っているので、部室に飾って親に見せることはありませんでした。
だから、記録を出しても周りからたくさん褒めてもらえても、本当にやりたかったことをやってのことではないので、私自身ちっとも嬉しくなかったんです。
進学コースに入ったので三者面談形式の進路相談も年に何回かありましたがお知らせのプリントを母に見せることはしませんでした。
また何を言っても反対するか拒絶するかに違いない、そう思っていました。
なので三者面談の時には「両親ともに都合がつかず私だけです」と進路指導の先生に言って一人で話をしました。
もちろん先生からは「お母さん一人でもいいから来てもらわないとダメなんだけどね。」と言われましたが。
どうせ何か重箱の隅っこをつつくようなことしか言わないだろうし、そんなこと聞きたくもないから来て欲しくなかったんです。
推薦が来た大学も何校かありましたが、どことどことどこの大学に受験して何校合格したからどの学校へ行く、と家族には一切言わず、その大学に通うために上京するその日に「明日東京の大学の入学式だから。で、次の日から授業始まるからしばらく帰らないからそのつもりで。」と一言言って荷物を持って家を出ました。
母から下宿先に電話がかかってくるたびに「私はあんたみたいな勝手な子供を育てた覚えはない」と大喧嘩ばかりでした。
なので実家への帰省も大学の4年間でひぃじぃさんのお葬式だけだったかと思います。
でも、その反面、家族と仲良しの友人たちを見るととても羨ましくて、でも、私にはそんな家族がない、という欠乏感はありました。
私だって仲良し家族の方がいいに決まってます。
たっぷりの愛情で守られて認められてそういう温かい光のあるようなそんな家族がよかった。
お父さんから、お母さんから、無条件でう~んと愛されたかった。
あんたは何をやってもダメ!と言われ続けたせいなのか、子供の頃からの心の癖で、「どんなに頑張っていても誰も褒めてくれないだろう」とか「私を温かい光で包み込んでくれる人なんかいないだろう」とずっと思ってきました。
だけど逆にそういう人がそばにいて欲しくて、あがいている自分もいました。
私を認めて欲しい、私を守って欲しい、そう願い続けてきた人生であったかと思いました。
亜紀さんに言われた「信念体系」というものが、
もし私が自分らしかったら。
きっと母親に愛されないだろう。
だから私は我慢する。
でした。
これは母に限らず、今現在では主人も該当しています。
何をするにしても主人の目が気になります。
何かの大会で主人に勝ったことがあるのですが、その時に「お前が俺に勝ってどうする気だ!」と怒鳴られました。
それからです、ビクビクしてるのは。
私は勝っちゃいけないんだ、そう思うようになりました。
ふっと気づいて主人のいる方を見ると物凄い形相で睨んでいたり、寝た振りをして私に気付かれないようにじ~っと見ていたり、まだ試合の最中に「ふん、情けない!」と首を不機嫌そうに降りながら言い捨てたり目も合わせずに会場から出ていってしまったり…なんてこと何度もあります。
もうそうなったらヘビに睨まれたカエルではないけれど、余計に固くなって気になって気になって怯えて何もできなくなってしまうんです。
何やってんだ、今の試合は完全なる勝ち試合だったのに何やってんだ!と怒鳴られても「え~お前が勝ってどうする?」って言ったじゃん!も思う…。
だから私、自分らしさも欠落しているんです。
だから自分のことがどんどん嫌いになるし、こんなに人の目を気にしながら生きていくくらいなら何もしない方がいいんじゃないか、とか、私なんていてもいなくてもいいんじゃないか、じゃあ………と気が付いたら線路の上、なんてこともあったくらい精神的に追い込まれたことも何度もありました。
そんなこともひっくるめて亜紀さんにここまでの辛かったトラウマを削除していただきました。
辛かったことを話している間は、体調にも異変がありました。
悲しかったり悔しかったり苦しかったりいろんな複雑な思いで思い出す度にテーブルをひっくり返しわぁ~と叫びながら逃げ出しそうになる私を両腕で押さえて込んでいる私がいました。
亜紀さんに削除していただいた瞬間、頭の上から何かキラキラしたものが降ってきたかと思うと体全体が光に包まれ、あったかぁ~い感じと見えない何かから「もう大丈夫だよ、ちゃんと守っていくよ」と言われた気がしました。
それと同時に、目の前にあった暗~い大きな壁がサラサラサラっと崩れていき温かい光の中に駆け出していきたい、そんな気持ちになりました。
あ、もういいんだ、と思った瞬間、涙も出ました。
私の心のニーズは、自由であること、表現していくこと。
そしてそのエッセンスは、楽しいこと、勤勉であること。
アファメーションもそれに則したものを言葉にしていただきました。
そのアファメーションを口にしたり頭の中で思い浮かべるとウキウキしてくるのと同時に「私は今を自由に楽しんでる♡」とこれまでになかった感情が生まれてきました。
21日間潜在意識に訴えてね、って亜紀さんからアドバイスをいただきましたが、すでにあれから12時間以上経ってますがもう何度もつぷやいてます。
心がウキウキしてきて、私が今表現したいのはこの楽しいことなのよぉ~♡と主人の目も気にせず今夜は楽しんで来ちゃいました。
亜紀さん、今日は本当にありがとうございました。
また機会があったら、グイグイ引き出してくださいませ!
今後ともよろしくお願いします(*・ω・)*_ _)ペコリ
矢口侑珠希