今日は母の命日です。
特に何もしませんでしたが、2016年に亡くなったので、もう8年も経ったなんて驚きます。あの頃私はまだまだ元気で毎日母の施設に行っていました。途中行けなくなった時期もあったのですが、最後の頃は毎日行くことができたのです。
弟は色々あって、ほとんど来なかったのですが、私が疲れて1日休んだ日、なぜか弟とその息子が母のところに行ったらしいのです。
その翌朝、母は朝方息を引き取ったので、最期の最期に会ったのは長年介護をした私ではなく、弟たちだったことが、その頃の私には少し納得がいかない気持ちになりました。
ずっと介護してきたのに、結局弟なのか、などと思ったのです。狭量です。
母がどれほど弟を心配し、誇りにも思い、可愛がっていたか、わかっていましたから、本当にたまたま弟が最期に行ったことは、不思議ではありますが、この世の映画のようなシナリオらしいなとも思いました。そして、それでよかったのでしょう。
弟とはまともに話もできないくらいこじれていたのが、先日の従兄弟のお葬式の時、新幹線で楽しく話ができて、本当に奇跡のように嬉しかったのです。
あの頃は苦しい日々で、母を見舞っても、意識も朦朧として話もできず、その姿を見るのがつらくて、長くは居られなかったし、私は夫のことで苦しんでいたし、頼る人もなく、いつも寒い風の吹く夜の道を歩いているような寒々とした気持ちで生きていました。
今は、娘たちもしっかりしてきて、私も大きな病気はしたけれど、なんとか回復して、好きな絵を仕事にして、レッスンもやりたい内容になってきて、毎日描きたい絵を描くこともできて、小さな子どもたちに元気をもらう日々で、ちゃんとひだまりの道を歩いている気がします。
母に会いたいなとよく思います。私が私の母親なら、私が通ってきた道はむごいなと悲しくなると思うのです。それを娘に言ったら怒られたけれど。
母には、もっとこうしてあげたらよかったという思いはあるのですが、あれが精一杯だったとも思えるし、私の人生の大部分は母を幸せにしたくて生きていたような気もするので、やらることはやったと思うしかないかな。
もうこの世にはいませんのでね、私は自由に好きに生きられます。別に母がどうこう縛ってきたわけではないのですが、重かったな。幸せではなさそうだったから、なんとか母を幸せにしなくてはと思い込んで、夫より母を優先していましたね。
私も少し前まで重い母親でしたが、今はしょっちゅう「幸せだ」と娘たちに伝えています。少しでも親の重さが軽くなってくれるといいなと思うので。本当に幸せな日々ですしね。
私は絵描きになりたいと思い続けてはきましたが、本当は家族が仲良いというのが1番の希望なのです。
だから、今家族が仲良く過ごせていることが本当に幸せの源です。本当は夫もここにいたら、よかったのになあと思うのですが、そこは苦しみ抜きましたので、もう手放しました。2回も書きますが、もし、ここにいたらよかったのになあと思わない日はないのですが、奇跡でも起きない限り不可能でしょう。
あたたかい家庭が何よりも欲しかったのに、壊したのは私自身かもしれないし。
今は本当に楽になりました。毎日絵を描いて、好きな時に寝たり、食べたいときに食べて、自由です。
久しぶりに過去のことを思い出しましたが、もういいのです。これからは、深刻さもいらないし、頑張ってどうこうすることもしないでいいと思っています。
母は、割とゆったりとしておおらかな人でしたから、私が1人でキリキリしていたのかもしれません。
この世で一番好きで、一番あんな風になりたくない人でした。変ですね。
