毎日、新感染者数を見ると、開いた口が塞がらない状態…のマレーシアのセランゴール州とクアラルンプール。今日も、首都圏だけで、5,671名という怖い数字!マレーシア全体で9,180名で止まらない!ロックダウンの完全封鎖なので、どこにも行けないし、うちでお祝いすることに。
ブログにお越しくださって、ありがとうございます。
マレーシア政府認定のウェルネス・メディカル気功。そのウェルネス・メディカル気功の気功師(ジンジャン政府複合病院傘下の保健省認定ホリスティックセンターで気功施術者として勤務)でもあり、プライベートでも病気や怪我や身体の不調、メンタルヒーリングなどの対面式、遠隔施術の両方を行うRoseのブログです。
よろしくお願いします!
夫は2日前から、フォン(フレンチの出汁)を引き始め、鶏肉は1羽まるごと買って来て、それでいろいろと準備開始!
私は、パエリアを食べたかったので、それをリクエストしました。
日本の優しい友だちが、アマゾン経由でプレゼントを送ってくれていたのをオープン!
【テラヘルツ鉱石】のマッサージ棒、本に雑誌、素敵なトップ、そして今治のスポーツタオルと、自分ではもったいなくて買えないようなものが届きました!
ずっと待っていたバラの花束が、なんとやっと自分の誕生日に届いて!![]()
にぎやかな誕生日のランチに突入!
グジェール(チーズ入りのシュー)に中身はチョリゾとクリームチーズとハーブ。
ロケットと一緒に食べると、素晴らしい組み合わせ!
プロシュートにランカウイ産の甘いメロン。
お腹すいた~!
今日は誕生日でも、気功の遠隔施術が入っているので、お祝い前とお祝い後にも施術をしました。
昨日、買い物に行ったら、小さなホタテを見つけて…
ローカル産のものです。
似たようなもので、こちらも。
味は全然違います。
どちらもベースはアボカドのムースだけれど、別々のもので。
軽くて、スムーズ、とっても美味しい!
夫の十八番のビスクスープは、ため息しか出ない…
本当に絶品!
トマトのジュレをリクエストしていたので、美味しいのを作ってくれました。
パエリアは、豪勢に。
今まで食べたパエリアの中で、一番美味しかった!!!
隠し味にビスクスープとサフランを。
チキンは2日間、マリネしていたので柔らかくて絶妙な美味しさ…
お待ちかねのパエリア!
もう幸せいっぱい~!!!
うちでこんなふうに美味しいものが食べられるので、本当に幸せ!
デザートは、もちろん自分で作りました。
抹茶ロールケーキに、クロカンブッシュスタイルのシュー。
自分の好きなものを作って…
クリームは、クレーム・レジェールを作りました。
これは本当にヘブンリーな味わい。
日本のさくらんぼと、アメリカのラズベリーで。
昨日、母に電話してみて…
「ねえねえ、明日、何の日か分かる?」と聞いたら…
「七夕かな?」と答えた母。
「ねえねえ、お母さん、七夕は昨日だったよ。
明日は9日。何の日でしょう?」と、さらに聞いてみたら!
「母の日?」、なんて…![]()
去年は、義妹に頼んでビデオレターで私の誕生日を祝うメッセージを送ってくれたのに…
1年でこんなに変わってしまうのか。
私は、これから一体何が出来るんだろう?と、しばし消沈。![]()
「あのね、明日は私の誕生日なの。
忘れちゃったんだね」と、優しく言ったら、すごくバツの悪そうな母の雰囲気が伝わって来た。
そんな思いをさせたことに罪悪感を感じながら、電話を切ってから、母にプレゼントを贈ることにした。
私はもの心ついた頃から、自分の家族に馴染めなかった。
ひとりだけ、変わっていた。
実父は私が2歳半の時に他界して、7歳の時に新しい父が出来た。
決して幸せな家族ではなかった。
子供として安心出来る家庭ではなかった。
金銭的には、とても恵まれた家だったと思う。
高校からアメリカ留学が出来たのだから。
私を救ってくれたのは、実父の祖父母と、叔母たちと、小学校の教頭先生だった。
教頭先生は、5年の時の担任の急病で、しばしの間、私たちの担任を務めてくださった。
その教頭先生は、ピアノが上手で、長身の穏やかな先生だった。
ある日、「君は、もしかしたら、OOO三兄弟のうちの娘さんなのかな?」と、聞いてきた。
「私は、OOO三兄弟を若い頃に教えたことがあるんだよ。
そうだとしたら、君の父親は誰かな?三兄弟とも、とても優秀で有名だったんだ。
だから、君の名前を見て、珍しいし、もしかしたらと思ったんだけれど」、と話しかけられた。
その三兄弟のうちの真ん中が、私の父だった。
その話は、近所のおばちゃんたちや、親戚の人たちからも聞いていたけれど…
私の成績は極普通。出来もしないし、悪くもない。
自信のない私に、教頭先生は、私の頭をなでながら、
「君のお父さんは、とっても優秀だったんだ。
だから、君もなんでも出来るんだよ。
いいかい、人間は自分で出来ると決めたら、何でも出来るんだから」、と教えてくれた。
生徒というのは、本当に教師次第だと思う。
初めて、「頑張ってみよう」と思えた瞬間だった。
この教頭先生の言葉がなかったら、私はきっと中学からグレていたと思う。
決して幸せな家庭ではなかったし、身の置き場がなかったのだ。
体格も良くて、派手な感じの顔立ちで、いつも目立った風体の私だったので、不良に目をつけられたことがあった。
同じような匂いを嗅ぎ取ったのかもしれない。
だけれど、私はこの教頭先生の言葉を信じて、頑張った。
どんなに頑張っても、母親には認められなかった。
ずっと後になって、母は小さな時に大変苦労したことを知った。
いろんなことが腑に落ちた。
私は、小さな時から、大人びていたのは、自分を自分自身で守る必要があったから。
母の幼児体験は、そのまま、私に受け継がれたわけだった。
長い間、私は母を許せなかったし、まだ亡くなった養父には複雑な思いがある。
そんな自分が嫌だったし、許せなかった。
だけれど、いつの間にか、母親を許し、複雑ながら、養父も受け入れることが出来るようになっていた。
何よりも、そういう自分を完全に許せるようになっていた自分がいた。
さて、こんなふうに制限があっても、幸せに満ち足りて、夫や友人たちに誕生日を祝ってもらい…
それに自分の生徒さんたちや患者さんたちからも、お祝いメッセージが送られてきて…
私はとてもラッキーだと思う。
そんな私を生んで、母なりに精一杯育ててくれたのだから、少しは自分の誕生日に母にお礼をしたいなと。
認知症には、ヒーリングベイビーなるものが良いと読んだことがあって…
本物の赤ちゃんサイズの人形と、夏用の靴を贈ることにした。
従妹によると、うちの母は、何の関心もなく、ただただ眠っているだけ。
飼っていた猫も老衰で亡くなってからは、生きがいもなくなったようだ。
もちろん私は週2回だけ、遠隔施術をするようにしているけれど、それが精一杯。
現状維持を目指したい。
人形を買おうと思ったのは、確か6,7年前に異常に同じような抱き人形を欲しがったことがあった。
今から、贈っても興味があるのかどうかは分からない。
だけれど、遠いマレーシアにいて、私が出来ることは限られている。
人間は、いつでも変われるもの。
自分を被害者だと思っていたら、いつまでも被害者のままで終わってしまう。
理不尽なことはたくさんあるけれど、それを過去のこととして、今の自分はいくらでも変えられる。
その気になれば。
今の自分はしっかりとした大人だし、今の自分が幸せなら、それはじっくりと頑張ってきたからだと思う。
辛い思いをしたこともあったけれど、今はそれが生きている。
今の自分がいるのは、過去の自分がその時、精一杯、頑張ったから。
だから、それを認めてあげたら、人間はもっとラクに幸せになれると思う。




























