亡くなった下の弟の1人息子
KKが昨日成人式を迎えた。
1日遅れちゃったけど20歳おめでとう㊗️🎉
誰よりも見たかったのはお母さん
そしてお父さんの弟だっただろう。
昨日着くように私と上の弟と下の弟の3人の連名でお祝いを送った。代表してお姉ちゃんの私が手紙を書いた。ご想像通り6枚にもなった。弟は亡くなっても、私達はやはり3人姉弟だ。
下の弟、KGが亡くなったのはKKが小学校6年生の時だった。突然の事故だったので、彼の衝撃も大きかったはずだ。
KKの生育歴は伯母としても興味深い。
KKが2歳ぐらいの頃か、保育園をクビになってしまった。お父さんも行って、近所で、おばあちゃんも園長先生と面識があるのにクビになる❓当時はめちゃくちゃ驚いた。しかし片鱗はあった。
えむたんとKKは3歳違いで、夏休みなど小さい頃は一緒に遊んだ。2人とも水が好きで、公園やプールが多かった。プールで、KKはどこからかホースなんか探し出して撒き散らす。
まだチャイルドシートにくくりつけられたKKから、車に乗ると見えるもの全ての質問攻め。ず〜っと喋っている上に質問が的確。何とも怖しいと思ったのは、言葉が回り尽くすということだ。多分、人は見たもの聞いたもの、人に説明したり聴いたりしようとしても、同じものを見ていたら他の知覚で補っていることがかなり多いだろう。KKは「向こうに広がっている山なんだけど、あの左側の山の上だけギザギザして形が違うのは何でなんだろうか❓」それは熊本阿蘇の根子岳なんだけど、2歳にしてその調子であった。それがず〜っと続くのである。大人の、口から生まれたくらいの私がヘロヘロになるくらい説明していた。もちろんえむたんとは正反対。
保育園では、友達が持っているおもちゃなど興味があると、もう猪突猛進で取ってしまう。注意しても効かない。オモチャに夢中。でも力も強いので次々とゲットしてしまう。注意を払っていないので、やられたお友達は大泣き。
ママは共働きをしていたが、この一件で仕事を辞め、つきっきりの育児が始まった。保育園などの勧めもあり、大学病院での検査を余儀なくされた。夏休みに私も付き添った。検査は何回かあり、テストバッテリーが組まれたものと思う。まだ知識もそれなりだった私は、何の検査だったか定かではないが、医師から135を超えるIQ、物事に対する高い興味関心と言われ、その棒グラフがどれも平均より高く伸びていたこと。ただ、協調性はない、と。まだ小さいので今後とも様子を見ましょうとのことだった。
じ〜っと大人しく話さずおもちゃも何もかも取られてしまうえむたん。欲しいものは取り尽くすKK。2人を遊ばせるとKKママのKKを怒る声が響き渡った。KKママはいつも「普通がいい、、普通の子でいいから、優しい、穏やかな、人に謝らないでもいい子になって欲しい、、」と菓子折りを家に積んどく勢いで周りに謝り、泣いていた。それでも、走り回り、何かしらぴょっといたずらをするKKにママはピッタリとついて回った。
KKは絵本も大好きで、本屋でよく読み聞かせをママがしていた。あんまり次々読んでるものだから、本屋にもいられなくなり、2人で図書館に行っていた。そのうち図書館中の本を読んでしまうのではないかと、恐れ慄いた。
KKは結局、少し離れた大学に心理学部のある幼稚園部に通った。あっという間に有名人となり、臨床心理士がクラスで付くくらいの園児となった。しかし、ここでかかわる人全員がKKに慎重に関わってくれたことから、KKは言葉で説明したり、社会の善し悪しを学んでいった。
小学校に入る頃は、それでもまだ言葉も力も強いが、クラスも引っ張れるくらいの子になった。夏休みで一緒に宿題をしていたら、次々とあっという間に持ってくる。字も綺麗だし、理解力も早かった。私がえむたんと延々と勉強しているのは、何とも不思議そうだった。
えむたんが高学年になると、こちらも忙しくなったし、2人も一緒に遊ぶ歳ではなくなった。KKはパパと同じサッカー部に入り、夜も2人でよく練習に行っていたらしかった。
そしてKK12歳の10月であった。
えむたんは、中3であった。
これは後からママが担任の先生から聴いた話だ。パパのお葬式が終わり、登校した初日、KKは職員室に現れたそうだ。8時半過ぎ、先生達が着席している1番前の扉から現れ、
「お忙しい中、父の通夜、葬式にご参列下さり、本当にありがとうございました」と深々と頭を下げたそうである。誰に言われた訳でもなく、先生達も本当に驚いたそうだ。
それから、、遠くに離れた私も気になるばかりだったが、ママとKKは頑張っていた。とはいえ、、どれだけ大変だっただろう、、、KKはあれから殆ど、父のことを語ることはないそうだ。
しかし、高校ではサッカー部に入った。
「四軍なんです、今」と高一の頃は聴いていて、そもそも四軍まであるなんて、と驚いた。何しろ熊本の高校サッカー界、超大変らしい。それでも高三になる頃には「一軍」まで上り詰めたと。そしてママが送ってくれた写真は、めちゃくちゃ身体の出来上がった、超イケメンに変身していた。
弟の三年忌、七年忌とKKに逢うたびに驚いた。爽やかで柔らかい好青年である。あのトゲのようなものは微塵もなく、遠い日の弟に似て、いや弟よりも(ごめん、でも、ええやろ😘)イケメンで優しく穏やかだった。
「ママ、頑張ったね〜ママが望んだ普通の、普通以上の優しいイケメンになったね〜」
「お姉さんそれがですね、本当に本当に普通になったんです。見た目はどうかわかりませんけど、成績も性格も何もかも普通になったんです」
「❓⁉️」
「人間って不思議ですよね〜あの頃は普通がいい、普通がいい、って言ってたんですけど、限りなく普通になった代わりに、あの頃あったいろんな楽しみのようなものはすっかり無くなったんです。お父さんが持っていったんでしょうかね、、」
昨年6月、私にとっては父、2人にとっては祖父が亡くなった。身近な人が亡くなる辛さを人一倍知っているKKとママは、母、祖母に寄り添い、車を運転し、手となり足となり手伝ってくれた。他の男性陣が帰った初七日、彼は堂々と親族の代表として、スーツ姿で1番前で数珠を持った。四十九日も背広姿で、先頭で祖父の骨壺を抱えて運んだ。それは祖父にも父にも見せられなかった、成人の日の姿でもあった。
KKは今、大学生である。あんなに極めたサッカーを周りは続けるように言ったのにスパッと辞めた。そして毎日夕方17時から、家から歩いて2キロほどの居酒屋で深夜まで働いている。
KKママは大学の学費は意地でも自分が出すと、朝7時前から働いている。KKは学費以外の経費を全て自分で出しているという。
KKは自分で居酒屋を見つけて、頭を下げて働き出したそうだ。KKは初めから、大学の経費は自分で賄うつもりだったのだろう。休むこともなく、黙々と働くKKは、今や居酒屋の店主の片腕であり、店主は父代わりでもあるそうで、毎晩居酒屋で夕食も食べるそうだ。
やっと酒が飲める昨日、KKの帰りは遅かったようだ。でも、6枚も手紙を書いた。だからそれを読んでくれたらいいよ、とママに言った。
ママとは、あの才能はどこにいったんだろう。人って、人が違うくらいこんなに変わるものかな❓と2人で首をひねる。もちろん弟のこともあったが、ママはそこで1つも教育方針を変えていないという。昔、保育園をクビになった話をすると「え〜っ、そんなことあるん❓」と本人が1番驚いて人ごとみたいにニコニコと笑う。
手紙には、たぶん弟の思い、これまでの頑張り、それと半分ママに頼まれて、男には人生何度か本気で頑張らないといけない時があるから、就職はとりあえず頑張れ❣️❣️誰に相談してもみんな待ってるから、と書いた。
KKや、KKママの頑張りに、私も上の弟も、色々と送ったり、見守って何かあった時は一緒に考えてあげることしか出来ないけれど、、、
昨日の夜、天国で父と弟が
嬉し涙の酒を飲んでいたことだろう、、、
KG、お父さん、
KKもママも頑張ったよ、、本当に、、、
KK、あなたはまだこれから
どんなに化けるのかわからないけど
楽しみに心より応援しているよ💗
えむたんともずっと仲良くしていくって
優しい顔で言ってくれてありがとうね。
頼んだよ😘
成人の日、本当におめでとう㊗️🎉🍾
人生はまだまだこれからだ🙇♀️😘✨㊗️💪
