SMAP、、、
28年間も走ってきてくれた。
それなのにあの終わり方ってあるのかな、、
みんなまだまだ全員かっこいい。
スッとしていて、歳月を重ねたからこその
とてもいい顔をしているのに。
何よりも5人揃っていて
みんな健康で
生きているのに!!!
1991年か、、
SMAPの記憶がほとんどない。
まだバブルの残る頃、私は上を上を目指して
企業で働いていた。てっぺん回ったら帰ろう位の勢いで、派手な服を着て、必死で走っていた。
あの頃は何もかもが輝いていた。
赤信号も肩で風切って渡ってくくらいの、イラチなかっこいい大阪商人達に魅了されていた。
この話はまた、別枠で長くなるな、、
りかりかりんが生まれたのは2000年
SMAPの「らいおんハート」が発表された。
りかりかりんの可愛い顔を見て、うっとりと
らいおんハートに包まれていた。
りかりかりんは小さく産まれて、それからはひたすら発達との闘いだった。少なくとも母はそうだった。1歳過ぎには熱性けいれんを起こし、それから何回も救急車で運ばれる事となった。生きる事ととの闘いだった。
9月9日も救急車で運ばれた。しかし、搬送の関係で方針の違う病院に運ばれた。何回発作を起こしても処置してもらえない。このままでは危ないかもしれない。
9月11日の夜、りかりかりんを連れて病院を出た。タクシーで逃げるように、発作の治まったりかりかりんを連れて夜の街を逃げ帰った。とても疲れた。旦那も帰って来た。事情を話して、私ももう寝ようと思った。
でも、世の中はどうなっている?
ニュースステーションをつけた。
久米さんは夏休み。小宮悦子さんが、アメリカからの映像を戸惑いながら冷静に実況していた。
その後の映像は、その日の病院も吹っ飛ぶような恐ろしい光景だった。
2001年9月11日
同時多発テロの日だ。
世の中はもう何もかも信じられない。
これからどうなるのかと思った事を思い出した。
それから、、
1歳半健診などを経てりかりかりんは母子通園の療育生活に入った。これもまた、別枠で書かねばなるまい。その施設で、沢山の障害の疑われる子どもたちに逢った。健診の厳しかったこの地区では、怪しいものは療育に出され、何の障害を疑われているのか不安でいっぱいの親子ばかりだった。
その療育園も3歳では卒園する。
無二の親友となったママ友達が卒園の歌を探し始めた。2003年1月。明子ママが「私、SMAPって特に好きでも何でもないけど、この歌なんだかとてもいいのよ。これにしたいわ。でも、まだ発売してないみたいで」音源を探した。他のママが何とか探してきた。
「いいやんこれ❤️」
もちろん曲は「世界で1つだけの花」


これから私達親子にはどんな人生が待っているのだろう。障害があって、どんな人生を歩めるのだろう。長い道のり、生きていけるだろうか?
暗澹たる気持ちに、
「世界に1つだけの花
1人1人 違う種を持つ
その花を咲かせる事だけに
一生懸命になればいい
ナンバーワンにならなくてもいい
もともと特別なオンリーワン」
私達はどれだけこの歌に励まされて、長い船出を漕ぎ出しただろうか、、、
この歌はその後も育ち続けた。
昨夜りかりかりんも一緒にテレビを見た。
SOFT BANKの粋なCMに
「超かっちょいいー❤️」
と涙し、45分ノンストップメドレーの名曲に彼女なりの16年を重ねる。「夜空ノムコウ」が名曲なんだって。この枠買い取ったSOFT BANKもメチャメチャかっこいいよ




最後に「世界に1つだけの花」を
ありがとうございましたm(_ _)m


中居くんの大きな振りの愛、
一本ずつ折った5本の指、忘れないよ


みんなが去った中、行きつ戻りつしたキムタク
あなたの思いがまた実を結びますように
まだまだこんなにかっこよく


生きてるんだからいつかまた必ず


私もりかりかりんと頑張ります


ほとんど喋らなかった子が私に口応えするようになり、今は不登校気味とはいえ、とてもその時は考えられなかった高校まで進学した。
そういえば、今日の昼はりかりかりんに焼きそばを作ってもらった

気がつけばこんなに大きくなったね


うるさいババアだけどこれからもよろしくね❤️
SMAPの皆様❤️
長い間本当にありがとうございました

少し休憩したら、またお宜しくね


