わけあり家族の田舎暮らし#22 医師の言葉 | わけあり家族のお山の暮らし

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児童精神科閉鎖病棟入院歴のある長男と
世界的超希少難病の娘と
慢性疾患持ちの次男と
元野犬と元捨て猫との自給自足のシンプルなお山の暮らし。
家族みんなで穏やかに過ごしたい。

平日昼間に投稿しているブログは

 

私たちがなぜ山奥に住んでいるのか?

その謎を説明するブログなんですが、

 

でもそれを説明するためには

どうしたって私の子育てに関して書かなきゃで

 

その子育てがとんでもなかったのよ〜

っていうブログです。

(相変わらず説明長っ😂)

 

 

現在25年前ほどの話を書いてます。

 

 

一覧はこちらから

 

 

 

 

さ〜てさてさて。

今回は下差しこのブログの続きです。

 

 

 

障がい児専門の病院の精神科で

M先生の診察を受けることになった長男。

 

本当は3人を診てもらいたかったのですが

通院履歴があったのが長男だけだったので

とりあえずの予約は長男のみ。

 

 

 

M先生は

非常に穏やかな

私よりずっと年上だと思うのですが

ちょっとキューピーちゃんみたいな

可愛らしさがある先生でした(男性)。

 

 

以前のカルテも残っていたことから

その後から今までの経緯を話し

薬の副作用や、

リタリンの効き方がおかしい気がすることを話し、

娘や次男も診ていただけるか伺いました。

 

 

「きょうだい3人共という例は私は正直初めてです。

 他には聞いたことがありません。

 でも診てみましょう。

 お母さんも大変ですね。」

 

 

紹介状がなくても3人を診ていただけることになりました。

 

 

 

長男が出されていたリタリンは

すでに私が長男に飲ませていなかったこともあり中止。

 

チックの薬も別のものになりました。

しかも非常に少量で1種類のみ。

 

 

M先生も

もともと通っていた大学病院の精神科医ですが

大学病院で息子や娘、次男の検査結果などを

勝手に見ることはできない様子で

 

検査などは全て1からになりました。

 

 

「3人分なので30分予約枠を取りましょうね」

 

M先生はしっかり話を聞いてくださる先生でした。

 

 

特に驚いたのは

息子や娘を私より先に呼び

子どもたちと話をすること。

 

まだそうしっかり話ができるわけでもない年齢ですが

1人の人間として

学校や園はどうかとか

家ではどうかとか

そんなことを聞かれて話していたようです。

 

 

親から圧をかけられているような家庭の子の場合

もうこの年齢になると

親の顔色をうかがって話すようになるので

そういったことも考え

 

ある程度の年齢以上の子に関しては

重度の知的障害などではない限り

子供のみの診察を必ずされているようでした。

 

 

その後に

親の私に話をさせます。

 

その時は

できる限り私も1人で診察室に入る形です。

 

 

その間

プレイルームで

長男と娘は過ごしており

 

その時に手が空いていれば

カウンセラーさんなどが相手をしてくれているようでした。

 

 

次男は小さいこともあり

私が診察室に初めのうちは連れて入っていました。

 

 

 

M先生がよく言っていたことは

 

①先のことを考えないようにしましょう。

未来は今をどう過ごすかでいくらでも変えられます。

今をどう子供達に過ごさせるか、そこを一緒に考えましょう。

 

②お母さんがの気持ちが安定していること。

そうすると子供も安定します。

お母さんの気持ちは子供に伝染します。

お母さんが不安にならないようにしましょう。

 

 

私はこれを常に心がけるようにしました。

 

 

 

当時の私は不安だらけでした。

 

 

まだ情報がほとんどない時代に、

 

薬を飲ましても

 

SSTをやっても

 

 

長男の状態はなかなか良くならなくて

 

 

 

さらには

娘は幼稚園から拒絶されて

 

 

 

次男は止まることを知らない魚のように

起きている時間は自由奔放に走り回り

痛みに鈍いため非常に危なくて目が離せなくて

いつか事故が起きるのではないかと思い

 

犬のように

次男を紐で結いておきたいと思うほどでした。

(現在は迷子防止紐などがありますが当時はそれは非常に良くないと思われている行為のためできませんでした)

 

 

 

だから毎日が不安で仕方ありませんでした。

 

「この子達は将来どうなるんだろう」

 

と考え

 

「3人を連れて

 この世からいなくなってしまった方が良いのではないか」

 

そう思うこともありました。

 

 

自分ではできなくても

「誰かが車で私たちに突っ込んでくれないか」

 

そう思ってしまうこともありました。

 

 

 

でもM先生に

 

今をどう過ごさせてあげるかだけを考えて、

お母さんが不安にならないで、

いくらでも未来は作れるから。

 

 

そう言われて

その言葉を常に念頭に置くようにしました。

 

 

すると次第に長男のチックは

少なくなっていきました。

 

 

 

この言葉は今も心がけています。

 

娘の体調がどんどん悪化し

何の病気かもはっきりせず

一体どうなっているか分からなかった時、

今を頑張れば未来はどうにかなる、と思い

家族みんな今を必死に生きてきました。

 

そうしたら

娘の病気が何なのかが見えてきました。

 

 

娘が日本に1人しかいない超希少難病とわかった時も

その病気の予後が良くないと分かった時も

母親の私が不安になった様子を絶対に娘に見せないように、

小さな幸せを見つけてまずは私が笑っているように、

そう心がけてきました。

 

そして

涙を絶対に見せないように。

 

今もそれを心がけています。

 

 

まだ1歳前の次男とおしゃべりが得意な娘