昨日はなんかバタバタして書けなかった
「わけあり家族の田舎暮らし」シリーズ。
私がなんで山奥に住んでいるかの理由を
私のわけありな子育てを通じて説明する
平日の昼間に投稿するブログです。
現在、25年ほど前の部分を書いてます。
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今年初の投稿は
このブログの続きです。
【薬をたくさん出さない医師】を
探すことを始めたのですが
そうたくさんは
小児精神科医がいない時代。
そしてここは
都会ではなく超田舎。
まして多動な子ばかり3人。
3人を診てくださる医師はいるのか?
そんなことをしているさなか
娘の幼稚園の担任から「話がある」と
呼び出されました。
この時
娘がLDやADHD、自閉症と診断されたと
幼稚園にはすでに話していました。
👩「えっとですね、
◯ちゃんに年長さんの卒園式の参加を
見送ってもらいたいんです」
…え?
意味がわかりませんでした。
娘が入園した当時は
この幼稚園は2年保育になったばかりの年。
年長組と年少組しかありません。
しかもどちらも1クラスずつ。
娘はその時は年少組でした。
そして
年少組の園児たちも
年長組の園児の卒園式に
在園生として参加するとのことでした。
👩「年長さんにとっては卒園式は大切は行事です。
その行事を台無しにしてもらっては困るので
◯ちゃんには欠席してもらいたいと思いまして」
当時の娘の担任は
私より一回りくらい年上の人でした。
まだ何も起こっていません。
娘はまだ何もしていません。
全てが“もしも”の話です。
もしも何かが起こったら困るから
障害のある子には来てもらっては困る
今だったら
かなり問題になりそうな発言。
だって
卒園式の練習には参加しているんですから。
練習には参加するけど
当日は娘の席はないという…
5歳児なんて
椅子にじっと座っている方が難しいはず。
他にもむずむずしている子はいるはず。
でも保育士たちの目は
診断されている娘だけには非常に厳しく
差別的でした。
今だったら
誰に障害について聞いたのか
それは専門家なのか
誰が娘の欠席案を出したのか
など問いただしたり
欠席を強要されたと教育委員会に問い合わせるとか
いろいろ考えたりできたりしたと思うのですが
この頃は
私も若かったし
この地域の地域性もわからなかったし
知恵もなかったし
とにかく診断された子たちの子育てで
いっぱいいっぱいでした。
そして
想定外の担任からの言葉に
ただただショックで傷ついて
呆然と帰宅しました。
でも娘自身も
できれば幼稚園に行きたくない という
半不登園状態だったので
担任に言われた通り欠席させて
その日を有意義に楽しく家族と過ごしました。
当時幼なかった娘は
この差別的発言を
今日まで知りませんでした。
私は言いませんでした。
今話しました。
娘曰く
そうだったんんだ〜。
お遊戯室はすごく辛い場所だったのよ。
身体中が痛くなる場所だったの。
多分 じっと座っていると体が痛くて
もぞもぞして目についたんだと思う。
この頃から難病の症状がでていたんです。
でも
気がついてあげることができませんでした。
そして最終的にわかるのは
この時 娘が診断されたものは
ほとんどが間違いだったということ。
娘はLDではあるけれど
ADHDでもなく
自閉症でもなかったということ。
(のちにアスペルガー症候群と言われたのも
広汎性発達障害(PDD)や自閉スペクトラム症(ASD)というのも
間違っていたということ)
難病からの症状に娘は耐えていただけなのに、
難病の特性から
本能的に行動に出ていただけなのに、
それをADHDや自閉症というように
診断されてしまった…
そして
医師たちも私たち家族も
そうなんだとずっと思い込んでしまっていた…
そのことで
差別を受けたり
間違った治療を何年も行ってしまい
娘を
世界的に見ても重症度の高い難病患者にしてしまった…
本当に娘に申し訳なく思っています。
当時は
ADHDや自閉症は
乱暴で暴れていうことの聞かない
手のつけられない
聞き分けのない
学級崩壊を招くどうしようもない子
という間違った情報が徐々に流れ始めていて
それを保育士や教員が信じ込み始めた時代でした。
1997年にあった「酒鬼薔薇聖斗事件」。
犯人が自閉症だと診断されたことで、
それが世間に広がったことで
そういった間違った情報に
みんなが振り回されたのかもしれません。
非常に生活しにくい時代でした。
でも
娘に対する
この大人からの差別はまだマシな方で
この後もっともっと私の子供は
大人たちに追い詰められていくのでした。
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