わけあり家族の田舎暮らし#2 長男の訓練 | わけあり家族のお山の暮らし

わけあり家族のお山の暮らし

児童精神科閉鎖病棟入院歴のある長男と
世界的超希少難病の娘と
慢性疾患持ちの次男と
元野犬と元捨て猫との自給自足のシンプルなお山の暮らし。
家族みんなで穏やかに過ごしたい。

私がなんでこんな山の中に移住したのか?

なんで色々こだわって生活しているのか?

 

それを説明するには

私の人生をある程度書かないと伝わらない気がして。

 

なんか色々あったのよね、私の子育て💦

今もその延長上なんだけど。

 

ブログに現状の娘のことは時々書いているけど

それ以外の子のことや

それ以外のことをあんまり書いてない。

 

なんか私自身の指も変になってきて

痛みも出てきて

いつまでキーボード打てるかな〜って思ったので

 

終活と思って

自分の人生を振り返ってみてます。

 

 

 

下差しこのブログの続きです。

 

 

 

長男が紹介された病院が

障害児専門の病院であることで

ショックは大きかったけど

ある程度の覚悟はできました。

 

 

 

長男を病院に連れていくと

待合室や会計前には

 

車椅子に座っている子。

 

タイヤのついた台を使って歩行している子。

 

ベッドに寝たまま移動している子。

 

泣いている女性の腕の中にはダウン症とわかる赤ちゃん。

 

その泣いている女性の背中をさするおばあちゃんらしき人。

 

手をくるくると動かしながら体をずっとゆすっている子。

 

小学3年生くらいの子を

おんぶ紐でおんぶしているお母さん。

 

 

たくさんの子供と

その保護者の方がいました。

 

この病院には

障がいのある子どものための様々な科と、

訓練施設がありました。

 

 

長男。あらためて見てもやっぱり脚がおかしい。

 

 

「この子は歩けないかもしれません。

 でも歩ける可能性がないわけではないから

 訓練を始めましょう」

 

そう医師に言われ

長男の訓練が始まりました。

 

週に1〜2回

足のマッサージや

足を前後させる訓練。

おすわりする筋肉をつける訓練。

手を動かす訓練も同時進行で行われました。

 

まずは座れること、

ハイハイができることが目標。

 

訓練で通院する以外の日は

家でも2時間くらい訓練。

 

私自身が辛くならないように

遊びやふれあいの延長として

童謡などを歌いながら楽しくやっていました。

 

 

当時のものが母子手帳に残っていました。

 

 

私の母も

夫の母も

私の話を聞いて泣いていました。

 

成長のたびに車椅子を換えなきゃだから

お金を貯めなきゃと言ってました。

 

でも私には

泣いている時間なんてなかったし

子供に涙は見せたらいけないって思ってました。

 

子供ができないと思っていたんだから

私の元に生まれてきてくれてありがとうって

毎日笑っていたいって思ってました。

 

そして

この子より1日長く生きなきゃ、

絶対に認知症になってはいけない、

そう思うようになりました。

 

 

でも正直、不安だらけでした。

 

誰も知らない

場所もわからない

目印になるような物もない田舎の土地で

ナビもネットもなくて

方向音痴の私が

地図で場所を探して

自分で運転して行かなきゃいけない。

 

相談できる人もいなくて

本を買って病気や訓練方法を調べる。

 

…不安にならないわけがない。

 

 

 

でも

長男は絶対に歩けるって

それだけはなぜか確信してました。

 

 

友達もいなくてパパのお昼休みに合わせて

会社の近くの公園まで行き一緒にお弁当食べたりしていました。

起きている時はいつも脚に力が入っている子でした。

寝ている時も尋常ではないほど筋肉がビクビクする子でした。

これは今もですが…

 

 

長男がよく吐く原因は

わからないままでした。

 

授乳後に必ず強烈に吐くので

私の後ろに新聞紙を敷きまくってから授乳して

ゲップの時に長男を肩に抱え

新聞紙の上に吐けるようにしていました。

 

これを授乳のたびに

毎回やっていたんです。

そうでないと床も布団もあちこちが

吐いたもので汚れてしまうからです。

 

毎回 噴水のように吐いてしまうので

またすぐお腹を空かせて泣きます。

 

訓練か授乳か

そればかりの毎日でした。

 

 

ハイハイは出来ずお腹をつけたまま這っていました。

 

お腹をつけたままのずり這いはできたけど

結果的にハイハイはできなかった長男。

 

それでも訓練の甲斐あって

つかまり立ちが始まりました。

 

それと同時に

足の指の付け根が割れて

血だらけになるようになり

そこが痛くて泣くようになりました。

 

生まれた時から脚に力が入っていいて

常に足の裏、足の指が丸まっているために

足の指の裏の皮膚が成長せず短くて

つかまり立ちで指が伸びることで

足の指の付け根がぱっくり割れていたんです。

 

小さな指が取れてしまうのではないかと思うほど

ぱっくり何度も裂けました。

 

 

 

さらに

つかまり立ちしたまま

思いっきり後頭部からひっくり返ることもとても増え

全く目が離せなくなりました。

 

ひっくり返った時に

物に頭をぶつけないために

部屋に物を置いておくことができなくなりました。

 

こたつなどは非常に危険なものになりました。

 

室内の床全面には

クッション材を敷きまくりました。

 

当時そのようなクッション材は簡単には手に入らず

探すのが容易ではありませんでした。

夫と県外まで探しに行きました。

 

 

 

 

この田舎の病院を信じていいのか?

 

途中で不安になって

東京の大学病院にも行きました。

 

「訓練すれば歩ける可能性はあると思いますよ。

手はそんなに不自由にはならないと思います。

今、それなりに動いてますから」

 

そう言われ

その言葉に背中を押されて

訓練を続けました。