茨城県神栖市の海辺
今日は、私の生い立ちについて…。
宮崎で一緒に暮らし始めた母は、実は、私の実の母親では、ありません。
私が物心ついた時には、母は、死んだと聞かされて、父と2人暮らしでした。
父は、転勤が多くて…。
大分県中津市
長崎県佐世保市
長崎県長崎市
と引っ越してきました。
父は、私に対して愛情は、あったのかもしれないけれど…。
正直、ほったらかされてました。
けっしてマメな方では、ありません。
長崎市に引っ越した時、私は、小学1年生だったのですが、4月に入っても入学手続きは、されず…。
ランドセル🎒も買ってなかったと、後で聞かされました。
父は、宵越しの金は持たないタイプで、焼酎が好きで毎日飲んでました。
よく夜も飲みに出かける事が多く…。
私は、家に独りぼっち…
寂しくて、よく伯母さんに電話してました。
私の父のお姉さん。
実は、この伯母さんが今の私の母なのです。
父が、長崎市から次は、鹿児島市に転勤になるという時に、伯母さんが見かねて、私を引き取るという事になったのです。
私が小学4年生になる時でした。
この時に養子縁組してるので、戸籍上、親子になったのです。
父は、3人兄弟の真ん中で、姉と弟がいて…。
その二人共、結婚していません。
なので、私は、伯母さん、叔父さんに凄く可愛がってもらえて…
この離れて生活している時も、宮崎からよく遊びに来てくれました。
ランドセル🎒や学習机、学校で使う物…洋服等も殆どの物を伯母さんに買ってもらいました。
父は、運動会も参観日も一度も来た事ないのです
お弁当も、おにぎり🍙2つに漬物とかで…。
私は、よく先生と食べていました。
お弁当を友達に見られるのが恥ずかしかったのです(笑)
そんな父だったので、伯母さん・叔父さんは、私の事が不憫に思ったみたいです。
実際、小学4年生からは、幸せでした
2人に溺愛され、学校の行事には、必ず来てくれて…。写真をいっぱい撮ってもらいました。
高校卒業するまでの9年間、育ててもらったのです。
感謝しかありません
認知症になってる母(伯母さん)に、どこまで親孝行できるかな…。
このブログを読んでいただいてる皆々様に雪崩れのごとく幸せが訪れますように
願っております