飛行機からの富士山富士山

私は、自他ともに認める『ガンの患者学研究所』の劣等生である。

本当は、ガンを治してから、奇跡の人として本📖を出したいと野望を持っていました(笑)ゲラゲラゲラゲラゲラゲラ
ブログも治った人として発信したかったな…うーん

でも…ガンは、そんなに甘いものじゃなくて…アセアセ
油断していた…。昨年の10月から階段から転げ落ちるように…ジェットコースター
一気に悪くなりました…ガーンショックショックショック
その原因について、振り返ってみたいと思います。
ガン患者の皆様が、私みたいにならないように切に願います。


宮崎で身体に良い事して、がんばっていたのですが…。
手持ちのお金が少なくなっていました…えーんえーんえーん 
コレかなりのストレス…ショック
最初は、3月のお彼岸には、埼玉に帰る予定でした。
4月には、『ガンの患者学研究所』の合宿が控えていました。

ところがです…アセアセ
コロナですバイキンくん
世の中が一変しました叫び

『ガン患研』に電話相談すると、「ずっと宮崎で暮らした方がいい」

と言われるし…。

私の口座から埼玉の家の光熱費が全て落とされていたので、夫にお金を振込んでもらうようお願いすると、10万円入ってました。

けど…それだけでは生きていけない笑い泣き

夫に電話すると『帰って来い』とケンカになるし…。

でも、ケンカになったついでに心に思ってた事をぶちまけたら、す~っとしました(笑)

そんな事の流れを娘に、相談していたら…。

娘がお金を送ってくれるようになってしまって…。

(娘よ!ありがとうラブ感謝🙇)

でも…親として、こんな情けない事はない。

娘は、旦那の方にも月5万円入れてくれているのです。

親孝行な自慢の娘です爆笑

(親バカですみません)

という訳で、いつまでも娘に迷惑をかける訳には行かないので、5月から時短で働き初めました。

仕事も見つかって、自信がついたのか、夫と姑の事も考えなくなり…。

私の心は、満たされていましたキラキラ

母と2人で、宮崎で生きて行こうと思っていました。


ただ…『ガン患研』の川竹代表からは、

「働くのは、まだ早すぎる。まだ若いのに…油断している」

と言われていました…キョロキョロ

川竹代表からみると、50過ぎのおばさんでも若いと言ってくれる(笑)


確かに油断していました。

私は、乳がんステージⅣの患者だけど、とても元気だったし、痛みもなく…辛い事もなかったのです。


毎朝、海辺まで行って、朝日🌅を拝んでいましたが、それをやめて職場まで歩く事にしました!

片道35分くらい。

ところが暑くなってくると、職場に着いた時には、汗びっしょりなので、7月には、自転車自転車通勤になっていました…。


手当ては、殆ど出来なくなり…ショボーン

半身浴とビワ温灸くらい…。

マインドマップも書かなくなり…。

そして私の悪いクセ…。

出来ない自分、やらない自分を責めるんです…。

仕事でミスをすると、家に帰ってもクヨクヨ考える…。

多分、コレが一番ダメ…チーン

負のスパイラルに、はまってしまいました。

性格なんて、そんな簡単に変わらないショボーン


あと、母親の認知症が酷くなっていましたショック

会話が成立しないのですアセアセ

そして、ある日事件が起こります。

母が万引きしたと警察から電話が…ガーンポーン

この事は、後日またブログに載せようと思います。


うれしい事もありましたキラキラ

友達が埼玉から会いに来てくれたり、高校の同級生が徳島から2泊3日で戻って来てるというので会ったりしてました。

なので、そういう時は、普通の食事をするので玄米菜食では、ありませんあせる

その時には、ご褒美の日は、月に2度でもいいや!なんて思ってました真顔

もうめちゃくちゃです…。



多分ですが、『ガン患研』で治ってる人達は、治すと決めたら短期集中で、その間は、友達とも会わないのだと思います。

会っても玄米菜食を貫き通すとか…。

よく『治そうという気迫が足りない』という言葉も耳に残っています。

治ってる人達は、気迫が凄いのでしょうね。


という訳で、宮崎に行って、本当にがんばっていたのは、半年足らず…。


そして、その痛みは、最初は、坐骨神経痛かな?くらいな…。

お尻から太腿の後ろの筋の痛みからでした…。

でも、1ヶ月もしない内に、激痛になり、布団から起き上がるのも苦痛になるのです…。

初めて『死』を覚悟しました滝汗


続きは、次回へ…。




このブログを読んでいただいてる皆々様に雪崩れのごとく幸せが訪れますようにラブラブ
願っておりますウインク