母が亡くなってから今日で丸3ヶ月が経ちました。


直接会った方、話す必要があった方、母の事を聞いてくれた方には話していたのですが
ブログやFacebookでは書いていなかったので、改めて書いておこうと思います。


亡くなる前、母の闘病中には何度か記事にもしていたので
心配してお声を掛けてくださった方には本当に感謝しています。


以前の記事はこちら




そして、亡くなる前日に病院で書いていてアップしないままに保存してあった記事。
消す事が出来なかったので、下に転載します。



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悪くなった今日を見ると、昨日までの事がすごく良く見える。
2017年1月27日19:05



母の容態がまた悪くなりました。


話せなくなってみると
話せた時がすごく良く見える。


頷くこともほとんどしなくなると
頷けただけでも良かったなと思う。


1月12日にホスピスに転院した時点でかなり悪かったし
すぐにトイレに立つことも出来なくなってたけど
それでも話せてた。
飲み物だって飲めてた。






今日はついに点滴も外された。


看護師さんのお客様から聞いていた。
代謝が出来なくなると浮腫が酷くなるから
点滴してる方がしんどいからしなくなるって。


その内、尿も出なくなるから
そうするとお別れも近いって。
だから、いつも病室に行ってすぐに尿を確認する。


数日前1日700ml出てた尿は
2日前には400mlになり
今日はもう100mlしか出てない。
色も濃くドロドロした塊が管に詰まってる。







ホスピスだから無理に頑張らせたりもしないし
痛みは薬でほんとに丁寧に取ってもらえてる。


痛みはなくてもだるさはある。
もうタオルケットさえ重く感じてたんだから。


ダルさを取るお薬もあるんだけど
それは眠気を伴うので
まだ少し話せる頃には看護師さんに
『夜は娘が来るから薬は使わないで』
というような事を言ってた時もあったみたい。





入院してから、よく父の愚痴を聞いてた。




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ここまでが、亡くなる前日に保存してた内容。


父のことでは本当に悩まされた。


子供の頃の破天荒な生き方。
子供ながらに『なんでこの人と離婚しないんだろう』って思ってた。
私の結婚相手に望む条件は
ギャンブルをしないこと、暴力をふるわないこと、お金があること。でした。
それの逆が父。


そんな酷かった父を全力でサポートして、私達子供を愛情いっぱいに育ててくれた母。


歳をとって丸くなった父は
私の子供も可愛がってくれるいいおじいちゃんになったし
過去の事をとがめることもなかったけど、無かったことには出来なかった。


丸くなったと言っても気性の荒さは残っていて
自分の気に食わないことがあるとすぐに怒鳴るので
母はずっとそれを上手くかわしながらも受け止めてきてた。


でも、亡くなる直前には過去の辛かったことも思い出していたし
父への不満も口に出していたので、その気持ちを持って亡くなってほしくなくて
ホスピスに転院するタイミングで、父に『お母さんに過去のことで謝りたいこととか感謝の気持ちとかあったら今のうちに伝えて』と言ったけど
逆ギレされてビックリした。


自分では母の事を幸せにしてきたと思い込んでるし
過去の事は忘れていて、今更何を言ってるんだと言ってきた。


まさかの反応に呆れたし、悲しかった。
結局父は母に感謝の気持ちとか謝罪とか言えなかったと思う。


心ではちゃんとわかってると思うけど
自分を守るための防御反応かな。
でも、それを踏まえたとしても、母に無念な想いは持って行ってほしくなかったんだけどな。






母が亡くなったのは1月28日の15時35分。
姉が仕事で立ち会えなかったので、姉が到着してから死亡の確認をしてもらって
正式に認められた時間は16時04分。


その日はすごく天気が良くて
私は午前中仕事をしていて、血圧が下がったと連絡はあったけど
そんなに急いでる様子もなかったし、病院に到着しても父しかいなくて
父からも『今夜でもうダメかもしれない』ってくらいだったので
割とのんびりしていて、父が買ってきてくれたパンを食べながら母を見守ってた。


水はもちろん飲めなくなってたし、かろうじて息をしている母は
口が開いているので舌も乾燥してひび割れてて
先にスポンジの付いたブラシの様なものを湿らせて
口の中や歯を丁寧に磨いたりしてた。





亡くなる時は一瞬で
弟が病院に向かってる最中に手首から脈が取れなくなって
弟と姉に連絡したけど間に合わなくて、呼吸が止まった。
でも、直後に弟が到着して、もう1回だけ呼吸をした。
それが最期でした。


姉が来るまでは頑張れなかったけど
弟が来るまでは頑張ってくれた。


お別れは悲しかったけど
正直最期はほんとに骨と皮の状態で
早く楽にさせてあげたい気持ちが強かったから
『お疲れ様でした』と心から思えました。


姉も到着して、2人で結構楽しみながら母に化粧をしたんです。
最期はみんなに綺麗な姿の母を見せたくて。
おかげでお葬式の時はみんなに『綺麗やね』って言われました。





母が亡くなって姉と話していたのは
亡くなる前の1ヶ月は本当に長く感じて
後から振り返ったら『え?あれから10日しか経ってないの?』って思ったけど
亡くなった後の1ヶ月は本当に早くてあっという間でした。


母が亡くなって悲しいと思うことは正直少なくて
それよりも、母が亡くなる時『本当に幸せだったかな?』とか
『もっと行きたいところ、やりたいことあったんじゃないかな?』
と考えると涙が止まらなくなる。


それこそ、今更言っても仕方ない事だけど。
色々我慢しながら家族のために頑張ってくれた人だったから
もっと色んな世界を見せてあげたかったし
これからしてあげたいこともいっぱいあったんだけどね。






火葬して骨壷に入らなかった骨の中から
指先の骨をもらいました。
亡くなる前ずっと手を握っていたから。


母は生前、亡くなった自分のお母さんもそばに居ると思ってた人だったし
きっといつもそばにいてサポートしてくれてると思うから
私は寂しくないんですよ。


今も父や弟のことで問題があるけど
きっと母が見守ってサポートしてくれるよね。




お母さん、これからもよろしくね。



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