パート3からの続きです。

http://ameblo.mom/reiseikouzyou/entry-11236979937.html




(たまほ)

この前の家出の件では、赤井川村にはパワースポットが無いと嘆いていたら、琴似の木々に怒られたという話。

「パワーというのは、生きたいと思う願いなのだ。

人が積み上げたものをねらうだけで、自分ではそのように願わないのか。」





以前は生きるということは(食料にするために)殺すということだと思っていたが、そうではないという側面があるのではと思えるようになった。


・・・ねばならないという視点でやってきたが、そんなのでは生きられない。

生きることの喜びを享受しなければ生きていけない。

喜び、ときめき、欲などを大切にしていかないと生きていけない。


いままでは、ワークショップなどに参加するときは、そんなお金があったらとかそんな時間があったら家族と一緒にいなければならないという思考だったが、琴似の木の件後には母親が死んでいなくなってしまうよりも2泊3日だけ旅行へ行ったほうがいいだろうと思えるようになり、岡部明美さんのワークショップを自分自身に制限することなく、導かれたかのように参加することができた。



シンクロの嵐だった。





まず、ワークショップの主催者が私の名前を見て驚いた。

豊島(てしま)は豊玉姫伝説がある島で、古事記に出てくる海幸彦(兄)、山幸彦(弟)がいて、弟が兄の釣り針を海に落としてしまい兄から取ってこいと言われ海に探しにいったら、竜宮にたどりついてそこにいた豊玉姫様と恋に落ちて結婚して、その子どもが生まれた砂浜にあるコテージに泊るものだったからだ。


しかも、そのコテージの近くには(今は存在していないが)豊玉姫神社があったとのこと。


豊玉姫は汐満珠、汐干珠を夫である山幸彦に託して海に帰っていったという話。


字面がそっくりだったので驚いたとのこと。









ワークショップの中では、岡部さんが私に公開セッションをしていただき、人類は生きていてもよいのだろうかというテーマが私の中から湧いて出てきた。


私は何かを託されて生まれてきたので、それをきちんとやりとげなければ地球が滅びる。私は炭坑夫のカナリヤ的な存在で、何か違和感を感じ取る能力があって、大声で何かが違うと言わないと、炭坑夫たちが毒ガスのある方向へ掘り進んで行ってしまい、死んでしまうのだと。


カナリヤに生まれたのだから、声高く鳴け!

私が私らしく生きることで、まわりの人の役にたつことだ。

おかしいことは、おかしいと言う。

セッションによってこのようなことが発見することができました。









(ふたこ)

私らしさといったときに、センサーはどういったものを感じていれば私らしくいられるのでしょうか。





(たまほ)

お腹の感覚。

ここに聞くと私の身体、魂が喜びを感じられる。


私は、自分が何をやるのかを知っているのだと思う。







(ふたこ)

いままでは禁止していた自分がいたわけですが、いまでは自分を制限していることもわかるようになったのですか?







(たまほ)

わかりますね。


Aを選ぶ自分とBを選ぶ自分を二つ並べたときに、どちらが力強くいられるか。

身体の感覚をみていくとわかるのではないでしょうか。





自己否定した状態で他人を肯定しようとした場合、自分と似た他人の部分を否定してしまうので、自分を肯定した状態こそが他人を肯定することができる。

自分を肯定すると、他人を肯定する幅が広がっていく。





なにをするべきかわかっているけど、どのようにすればよいかがわからない。

それでも、小さな一歩でもいいから進もうとすれば必ずやするべきところに向かっていると思う。

いつか必ずや叶うと。




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