こんにちは 岡田歩です。(自己紹介はこちら)
「力を抜いて」って言われるほど、
かえって力が入ってしまうこと、ありませんか?
頭ではわかっている。
でも、身体はゆるまない。
これ、意志が弱いからではないんです。
スポーツでも、
楽器の演奏や歌でも、
習字や書道でも、
絵を描くときでも。
いろんな場面で、
「もっと力を抜いて」って言われます。
でも、これがなかなか難しい。
「力を抜こう」と思った瞬間に、
もう力が入っているんですよね。
私が習っているキックボクシングでもそうです。
思いっきり、
「蹴ってやったわ!!」
みたいな勢いで蹴ったときより、
サラリと蹴ったときのほうが、
「重い」
「痛い」
と言われるんです。
あれ、ほんと不思議です。
力を入れたほうが強そうなのに、
力が抜けているときのほうが、
身体の力がまっすぐ届く。
頭ではなんとなくわかるけれど、
実際に身体でそれが起きるのは、
なかなか難しいんですよね。
最近、骨格へのアプローチを通して、
身体が本来持っている力を引き出すことを
40年探求されている先生とお話しする機会がありました。
そこで、あらためて
脱力の大切さを教えていただきました。
先生の話で印象に残ったのは、
脱力は、ただリラックスすることとは違う、
ということでした。
大切なのは、
身体に興味を持つこと。
脱力が起きると、
身体は自分で必要なことをしはじめる。
そして、必要なことを、
身体のほうから教えてくれるのだそうです。
でも、この脱力というのが、
ほとんどの人にとって本当に難しい。
なぜなら、脱力は
「すること」ではないからです。
「よし、脱力しよう」
とがんばった瞬間に、
もう身体には別の力が入っています。
「じゃあ、どうやってやればいいの?」
と考え始めると、
それもまた、身体ではなく思考のほうへ行ってしまう。
脱力って、
力で起こすものではないんですよね。
身体の中に条件が整ったときに、
自然に起きるもの。
ここが、とても大事なのだと感じました。
生まれたばかりの赤ちゃんの身体は、
驚くほど柔らかいですよね。
私たちはみんな、
最初から力みっぱなしだったわけではありません。
でも、成長の過程で、
少しずつブレーキを覚えていきます。
嫌なことがある。
緊張する。
怖さをこらえる。
感情を抑える。
失敗しないように気を張る。
しっかりしようとする。
そういう経験を重ねるたびに、
身体は少しずつ、
力むことを覚えていく。
そして、力みが当たり前になると、
力んでいること自体が
わからなくなっていきます。
身体は力んでいる。
でも、自分ではそれが普通になっている。
身体のセンサーが、
少しずつ鈍くなっていくんですね。
ただ、これは
身体が壊れているということではありません。
感じすぎるとつらいとき、
身体は感覚のボリュームを下げることで、
自分を守ってくれることがあります。
身体は、
私たちを守ろうとしてくれていた。
でも、その守り方が長く続くと、
今度は自分の身体の状態が
わかりにくくなっていくのです。
これ、私にも実際に起きていました。
以前、腰が痛くて、
身体にソフトに触れる施術を受けたことがあります。
ある場所に触れられたとき、
私はとても緊張して、
だんだん怖くなってきました。
ところが、セラピストの方は、
「ここ、血流が増えてきていますね」
「緩んできています」
と言うのです。
え?
私の感覚では、
真逆なんだけれど?
そう思いました。
私の中では、
その場所は緩んでいるどころか、
怖さと緊張が強くなっているように感じていました。
でも、そのまま数分、
静かに待っていたら、
確かに、その場所の冷たさが
少しずつ減っているのがわかりました。
身体では、何かが起きている。
でも、私の意識はそれを
「怖い」と受け取っている。
そのとき、正直ショックでした。
私の身体は、
緩んでいることを、
怖いこととして受け取っていたのです。
身体にとって、
「ゆるむこと」は、
最初から心地よいこととは限りません。
ずっと力んで身を守ってきた身体にとっては、
力が抜けることそのものが、
未知の感覚になることがあります。
安心に近づいているはずなのに、
身体が一瞬、警戒することがある。
これって矛盾しているようだけれど、
とても自然なことなのだと感じます。
これ、施術の場だけの話ではないですよね。
休んでいいのに、そわそわする。
頼っていいのに、身体が固まる。
安心していい場面なのに、落ち着かない。
そういうこと、ありませんか?
そういうとき、身体はまだ、
「本当にゆるんで大丈夫なのかな?」
と確かめているのかもしれません。
ここが、私が今とても大切にしている
「安心の土台」とつながっているところです。
私はそれ以来、
自分の身体のセンサーは、
かなりズレているのかもしれないと気になっていました。
なぜ、感じられないんだろう。
どれだけセンサーが鈍っているんだろう。
どうしたら、もっと感じられるようになるんだろう。
そんなふうに考えていました。
でも今回、先生から、
脱力は「する」ものではない。
脱力が起きているときに、
自覚がないことも多い。
そう聞いて、少しほっとしたんです。
ああ、身体のセンサーが
壊れ切っているわけではないんだ。
そう思いました。
大切なのは、
「なぜ感じられないんだろう?」
と、思考で追いかけ続けることではない。
「どうしたら感じられるようになるんだろう?」
と、自分を改善対象のように扱うことでもない。
意識を向けるべきなのは、
思考ではなく、身体のほう。
まず、安全を確保すること。
脳と神経系に、
「ここは危険ではないよ」
と知らせること。
そして、身体にただ意識を向けること。
何かを感じられても、
感じられなくても、
すぐに答えを出そうとしない。
これは良い反応なのか、悪い反応なのか。
ちゃんと緩んでいるのか。
そう判断する前に、
ただ待ってあげる。
それが、
身体に興味を持つということなのだと思います。
身体は、命令されるよりも、
興味を向けられたときに、
少しずつ応答しはじめるのかもしれません。
「力を抜こう」とすると、
また力が入る。
でも、身体に興味を向けると、
力を抜こうとしなくても、
どこかが自然にほどけていくことがあります。
脱力って、
そういうものなのだと思います。
がんばって起こすものではなく、
安心の土台が育ったときに、
自然に起きるもの。
そしてこれは、
身体だけの話ではありません。
自分の中に自然に湧き起こる感情。
本当は嫌だと感じていること。
本当は大切にしたいこと。
本当は望んでいること。
そういうものに気づく力も、
身体の脱力と深く関係しています。
力んでいるとき、
私たちは自分の感覚を受け取りにくくなります。
頑張らなきゃ。
間違えちゃいけない。
迷惑をかけちゃいけない。
しっかりしなきゃ。
そうやって内側に力が入り続けると、
感情も、違和感も、願いも、
わかりにくくなっていく。
でも、安全の感覚が戻ってくると、
身体は自然にほどけていきます。
すると、感情も動き始める。
自分にとって大切なものも、
少しずつ見えはじめる。
だから、力を抜くことは、
ただリラックスすることではありません。
身体が本来の働きを取り戻し、
自分自身とのつながりが戻ってくること。
力を抜こうとして抜くのではなく、
安心の土台が育ったときに、
自然にほどけていくこと。
力を抜こうとがんばるのではなく、
身体が自然にほどけていく安心の土台を育てる。
頭で理解するだけではなく、
身体の感覚として、安心を育て直していく。
その中で、
感情や違和感や本当の望みも、
少しずつ受け取れるようになっていく。
そんな体験を、
【本来感覚統合コース】では、
半年間かけて重ねていきます。
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