私たちが
自分と、相手の関係性
パートナーシップを
上手くいかなくしてしまうこと
家庭や、仲間たち
職場などでの人間関係
そして
自分の人生までを
難しくしてしまうことに
「相手は、私のことを
こう思っているに、違いない」と
思ってしまうことがあります。
「私のことを
嫌っているに、違いない」
「私のことを、ダメだって
思っているに、違いない」
目の前の出来事や
そこにいる他者のことを
色がついたメガネで
物事を見てしまうことから
相手の事実が、事実として
見れないことがあるのです。
そんな私も、実は
よくこんなことがありました
主人が これ見よがしに 苦笑
食器を洗い始めた時
家の片付けを始めた時
「妻として、女として
ダメだって、否定された。。。」
しかも、ガチャガチャ
あんなに音を立てて洗うのは
きっと、私に対して
怒っているに違いないからだと。
だって、私は
女だから、妻だから、母だから
ちゃんと、家事をしなくては価値がない
だから、相手だって
きっと、思っているに違いない。
そして
やっぱり、わたしは
ちゃんとできないと、価値がない
頑張らなくては、認めてもらえないんだ と
そんな、
相手に対する
怒りや悲しみ、寂しさ、諦め
どうしたらいいか、自分でもわからない
コントロールできない感情が溢れ出し
相手に「〜された」と
被害者意識を持ってしまう ことから
主人にも
「はあ〜っ なんで
いつも、そうなるんだよー」と
そこから、喧嘩になったり
呆れられることもあったのです。
私たちは、こんな出来事を
友達や、ママ友との関係や
仕事関係、職場なんかでも
同じように、こんなドラマを
何度もなんども繰り返しています。
それは
昔、誰かに言われたり
小さい時に、起きた出来事から
心の奥底に眠っている
傷ついて手放せない思い込みや
親の生き方、周りを見て来て
これが普通、当たり前だと
育まれてきた自分への制限や
自分を縛り付ける価値観などから
「相手も、あの時と同じように
きっと、そう思うに違いない」と
自分の思いを、相手に投影して
自ら戦場を作り出して
しまうことがあるからなのです。
現実とは、自分が
<五感で、知覚できたもの>
これだけが
事実なのだと言われます。
それは、自分が今、実際に
見たこと
聞いたこと
匂ったこと
触ったこと
味わったこと
それ以外のことは
「きっと、そうに違いない」
「きっと、そう思ってる」と
自分の色眼鏡で
ありのままを、見れなくなって
事実に色をつけてしまったり
自分のフィルターで
相手の情報をふるいにかけてしまい
主観で判断してしまうことから
相手の事実を
自分の思い癖によって
脳内変換をして
捉えてしまうことがある。
相手への誤解から
相手への思い込みから
大切にしたい関係を
自ら壊してしまわないよう
自分の頭に湧き上がる
「こうに違いない」を止めるために
相手に対して
コントロールできない
負の感情が溢れ出した時には
今ここ、現実に戻るために
一度、深呼吸をして
五感を感じる器の
身体に意識を戻して見ること
グルグルと考え続けて
妄想地獄に陥ってしまうのではなく
一度、その場を離れることで
今、ここに戻ることで
目の前の事実を、そのままに
捉えることができるから




